何で、こんなことになったんだろう;何も悪いことしていないのに。
超苦手なTVに出ることになり、6月某日、
その収録がお台場のフジテレビであった。
「人志松本の○○な話」という番組である。
よりにもよって、松本さんが、新幹線のテロップニュースを見て、
ブラックホールに興味をもったらしい。
フジテレビのスタッフから最初に連絡があったのは、6月頭ぐらいだったか。
ブラックホールについて、いろいろ教えて欲しいということで、
プロデューサーの人が京都まで取材に来たのが6月第2週である。
2時間かそこら、番組の話を聞いたり、わかる範囲で説明したり、
アドバイスしたりして、もう一回、ちゃんとインタビューに来たいというので、
出演はイヤだけど、インタビューぐらいならと引き受けたんだが。
とまれ、その後、場所とか日取りとか2転3転したけど、 松本さんの疑問に答えるインタビューという形で、 京都市内の図書館を借りて、ロケは何とか終わった。 いや、このときも、スタッフの人はたった4人しかいないのに、 カメラが回っているだけで、台本通りに喋れなくて何度も撮り直すは、 噛みまくるわ、目は泳ぎまくるわ、たった2時間だったけど、 もー、くたくたになり、さぁ、やれやれ。
と、思ったのも、束の間、数日後に、
やっぱりスタジオの収録にも来てもらえないかと頼まれて、
根負けした形で引き受けることになった。
案の定というか、収録の前日はほとんど眠れずで
(ほんっとに、ナイーブ!)、おまけに、
ずっと忙しくて体調が悪かったせいもあるが、
前の晩に大阪で食べた天ぷらが消化が悪かったみたいで、
お腹の具合も悪くて、昼近くまで起きられない始末
(去年の下痢止めが効いたけど)。
しかも、当日にメールで送られてきた台本(途中稿)を読むと、
10数人のタレントさんの前で話すことになってるし、
マジで泣きそう。
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レインボーブリッジ
品川のホテルにチェックインして、休む間もなく、 フジテレビからお迎えのバンが到着した。 何年か前に未来科学館に行ったとき、はじめてお台場へ来たが、 そのときはモノレールゆりかもめだったけど、 今回は下側の一般道路で、眺めはイマイチ。 |
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控え室
厳重なセキュリティを通過した後に、フジテレビ社内へ入り、
控え室へ案内される。
収録の開始は20時と聞いていたので、まだ2時間以上もあるが、
まもなくプロデューサーやディレクターが来て、
台本の決定稿を前に、最終の打ち合わせに入る。 |
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控え室2
そろそろ、番組の一部分(疑問編?)の収録が、
千原ジュニアが仕切りながら始まっている。
控え室ではその様子を見ることもできて、
番組の雰囲気や出演者の感じを見ながら、
スタッフの人とスケッチブックでカンペを作っていく。
合間にはドーランを塗りに行ったり、
慌ただしくしているうちに、収録開始時間が迫ってきた。
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M-1(だったかな)スタジオ
20時から解決編の収録が開始される。
てんぱってるっちゃてんぱってるけど、寝不足だし体調も絶不調なので、
かえって頭に血が足らなくって、カーテン裏で出番を待っている間だ、
ぼーとしていた。何も考えられないだけ、ましだったかもしれない。
デジカメは控え室に置いていったので、iphoneで写したけど、 解像度は十分だなぁ。ていうか、写していいのかなぁ、まぁ、いいよなぁ。 |
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M-1(だったかな)スタジオ
前半の自分のインタビューとかをモニタで見ているうちに、
あっという間に、登場時間になって、
ジュニアの案内にしたがって、カメラの前へ。
収録の開始直前に説明されたとおりに、
自分の立ち位置まで進んだら、後はまぁ、推して知るべし、
ほとんど覚えていない状態(笑)。
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ようやく一息
21時ぐらいに収録が終わって、タクシーで品川のホテルへ戻った。 控え室には弁当なども用意してあったけど、 緊張でとても食べられる状態じゃなくて、 箸を一口付けただけだった。 ホテルのレストランで、ようやく軽い食事というか一呑み。 オンエアは7月10日という話だけど、 まぁ、とりあえずは、終わった終わった。 |
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松本さん入院については、その後、ニュースに流れた通りである。 とても残念ではあったが、その分、千原ジュニアが頑張っていて、 番組としてはちゃんと成り立っていたように思う (シロウト考えだけど)。 というか、あれ以上、いじられなくってよかったかも。 | |
PS.
予定通り、7月10日にオンエアされたけど。
土曜日の7時、ゴールデンの番組だったのね。知らんかった。 |