『パリティ』2,68(1987年)より
物理・天文教育へのSF的素材の導入

福江 純

■SFマンガ・アニメの世代
 最近は『機動戦士ガンダム』を始め『風の谷のナウシカ』など質の高いSFアニメが作られるようになり、『鉄腕アトム』で育った筆者としても全く嬉しい限りである。また純正のSF小説の方も、ロバート・L・フォワードやカール・セーガンら科学者作家の進出により、緻密な科学的考証の行き届いたハード性の高い作品が生まれてきている。一方でこれらSFを観たり読んだりする層も、小学生から大の大人まで幅広くなり、今やごく一部のファンのものというイメージはない。実際、大学生協の書籍の売上げランキングでも、極上のSFはしばしば上位にランクされている。
 このような時代の状況のもとで、従来はマニアのものであったSF的概念や用語は、一昔前に比べると、ごく一般的なものになりつつあるようだ。 
 さてヒット曲やアイドル歌手など多くの面で学生の話についていけなくなりつつある筆者にとって、これらSFマンガやアニメは共通項を残す数少ない分野の一つである。この様な貴重な共通部分を教育で使わない手はない。以下ではどのようにしてSF的題材・素材を科学教育に持ち込むかという意見を述べてみたい。
 まずいくつかの題材例とそれらに関する簡単な説明をしよう(<表1>参照)。
■具体例  <表1>の最初に挙げた【スペースコロニーの設計】というのは、回転によって生じる遠心力の加速度が地表の重力加速度と同じになるような条件をつけて、コロニーの”設計”をする問題である。円筒型コロニーの半径と回転角速度を求めるだけでは簡単過ぎるので、コロニーの形状を球にしたり、必要な大気の総量・有効内面積・総質量その他の物理量や、昼夜の作り方、居住人員、コロニーの設置場所などの議論も要求する。また流体力学の応用として、【スペースコロニーの大気構造】を求めることも可能である。
 次の【『リングワールド』の安定性】と【軌道エレベーターの設計】はSFファンの間ではかなり有名だが、筆者自身はまだ行ったことがない。
 【『ロシュワールド』の形状】では、2つの天体がお互いの周りを公転している場合のいわゆるロッシュポテンシャルを求める。ここで『ロシュワールド』というのはフォワードの作品で、バーナード星に想定された2重惑星系における異星人と人類の出会いを描いたものである。なおロッシュポテンシャルは、重力と遠心力が同時に働いている場合のポテンシャルを理解するためには非常に有用な概念であるので、物理教育でも一度は導入してみて欲しい。
 【宇宙空間の物体の温度】は、太陽放射に照らされている宇宙空間内の物体(例えば惑星)の温度を求める問題である。簡単のため太陽放射は温度6000度の黒体輻射で近似する。ただしあまり深入りすると、物体の反射能や黒体輻射のエネルギー密度などが絡んでくるので、する方もされる方もしんどくなる。
 輻射の運ぶ運動量については、【光帆走】や【レーザー推進型宇宙船】が格好の題材となる。前者と後者の違いは、輻射源として、前者では太陽光をそのまま利用するのに対し、後者ではそれを集束してパワーアップしたものを使う。光学の応用問題である、惑星間空間に置かれた【フレネルレンズによるレーザービームの集束】と共に、先に挙げたフォワードの『ロシュワールド』が基本的文献である。
 電磁気学に関する3つの題材は、多分このようなSF的題材によって興味深い演習問題ができるだろうという例である。
 相対論を用いるテーマは多い。例えば特殊相対論の応用として、一定加速度(1G)における【準光速宇宙船での宇宙旅行】が挙げられる。具体的な星(ケンタウルス座アルファ星とかバーナード星)や場所(銀河系中心とかクェーサー3C273など)を設定して、距離−時間ダイアグラムを描いたり、宇宙船の速度を求めたり、地球時間と船内時間を比べてみたりする。自分の生きている間に宇宙を一周できるかどうか当てさせてみるのも面白い。
 また光行差を説明するには、【準光速宇宙船からの眺望】というテーマがぴったりである。これは例えば宇宙船が静止している時の前方の星空の眺めと、光速の何割かの速度である方向に飛んでいる時の、光行差による星空の見かけの変化を極方眼紙にプロットさせる。コンピュータが使えればなおよい。天文学の場合には球面三角法の演習にもなる。星の位置データは理科年表などに出ている分で十分である。いや十分過ぎるほどで、全部プロットさせると学生に”鬼教官”と呼ばれる。発展問題としては、星の色の変化を考えさせる【星虹:スターボウ】というテーマもある。実視等級の変化まで考えさせるのは卒論のレベルになるだろう。
 潮汐力を説明するには【中性子星】を使うのが、潮汐力の大きさが極端で、分かりやすい。また中性子星周辺の潮汐力をテーマとしたSFも結構ある。潮汐力の計算だけで物足りなければ、フォワードの『竜の卵』に出てくる【潮汐補償体】を科学するのも面白い。
 【ブラックホール】についても容易にいろいろなテーマが考えられるだろう。例えば、一般相対論的効果による光線の曲がりを説明するときには、相対論的効果が小さい場合の近似的な式を書き下すより、数値計算で光線の軌跡の式を解いてディスプレー上で見せる方が圧倒的に分かりやすい。近日点の移動や赤方変位についても同様で、強重力場の場合でデモする方が印象的である。さらに【ブラックホール近傍からの星空の眺め】や【重力レンズ】などは卒論のテーマにも使えるだろう。
 <表1>のリストはまだまだ短いが、これは単に筆者の経験が未熟なためで、他にも、物理、化学、生物、地学や情報、電子、土木などほとんど全ての科学分野から、さまざまなSF的題材・素材が考えられるはずである。
■教育効果・有用性
 さて筆者は<表1>の題材のいくつかを実際に教育系大学における天文学実験(演習)で使っている。例えば光行差による星空の見かけの変化をレポート課題にした時の感想には以下のようなものがあった。
 「観察者の運動によって恒星の天球上での(見かけの)位置が移動するのを確認できたことはよかったと思う」「自分の後ろの星が前方に見えるのは面白い」「自分が光と競争できるくらいのスピードの宇宙船に乗って星を眺めているんだ、と考えれば、ロマンティックなところもあって楽しかった」「できあがった図を見て感動した。あ〜、やりごたえのあるレポートでした」
 筆者のいる大学は教育系ということもあり、物理、化学、生物、地学と理科の全分野の学生がいる。<表1>のような題材は概ね物理系の学生には評判がいいようであるが、これは内容からして当然のことだろう。化学や生物の学生ももっと興味を持てるような素材−例えばクレメントばりの異星生物学とか、『デューン』のような惑星生態学、惑星環境学−をやれればいいとは思うのだが、筆者の能力不足で手が出ないのが実状である。
 まあそれでもいずれの専攻にせよ、とにかくレポートは一生懸命書いてくる。もちろん筆者からみてつまらない課題を課したときでもレポートはちゃんと書いてくるのだが、そのような課題の場合よりはSF的テーマの時の方が興味深く取り組めるようだ。
 基本的な問題は面白くても面白くなくてもやらなければならないかもしれないが、本来勉強とは楽しいものであるはずだ。そしてさらに興味を持つということは、好奇心の現れであり、科学を始めるための動機でもある。こういう点でSF的題材・素材は好奇心を呼び起こすための呼び水にもなるだろう。また通常の割と無味乾燥な授業の中に少し混ぜることにより、マンネリ化を防ぐ役割も果たすだろう。
■SFの発想
 今までSFに縁のない人生を送ってこられた人で、がまんしてここまで読んでこられた方があったら、そのような方は研究の原点を思い起こして欲しい。特に理論系の研究においては、しばしば最初は”もしこうであったら”とか”これはこうなっているのではないか”とかさらには”いやこうなっているはずだ”、というような問いから研究は始まるものだ。これはまさにSF的な発想なのである。いやそういう言い方は正確ではない。研究の発想もSFの発想も人間の創造力という点で共通の土台に乗っているわけで、同じ発想になるのはごく自然なことなのである。ただSFにおいてはそれを言葉や絵で表し、科学においては科学の言葉:数学で表しているだけである。そう考えれば、想像力・創造力を養うためにも、SFを科学教育に導入することは、その仕方によっては非常に役に立つのではないだろうか?
 本稿では筆者のごく短い経験を元にSF的素材の科学教育への導入に関して述べたが、既にそのようなことを実践しておられる先輩諸子の経験談、有効性、また問題点などについてご教示・ご批判を願えれば幸いである。

<表1> SF的題材・素材
   題材例                    分野 スペースコロニーの設計 力学、流体力学
『リングワールド』の安定性 力学
軌道エレベーターの設計 力学、連続体力学
『ロッシュワールド』の形状 力学、潮汐力
宇宙空間の物体の温度 黒体輻射、輻射輸送
光帆走、レーザー推進型宇宙船 量子力学、輻射理論
フレネルレンズによるレーザービームの集束    光学
電磁カタパルト方式のマスドライバー       電磁気学
帯電ブラックホールの電磁気的固定 電磁気学
ラムスクープ宇宙船の磁場ろうとの設計      電磁気学
宇宙人への通信 情報理論
準光速宇宙船での宇宙旅行            特殊相対論
準光速宇宙船からの眺望(光行差、星虹) 特殊相対論、黒体輻射
タキオン通信 特殊相対論
中性子星                    潮汐力、一般相対論
ブラックホール 一般相対論
重力波通信 一般相対論
珪素生物                    異星生物学、化学