『天文月報』87,496(1994年)より
天文学ミニマム(宇宙物理学教程)の理想と現実

大阪教育大学教育学部教員養成課程理科教育講座地学専修天文学研究室・福江 純
<大阪教育大学天文学研究室 〒582 柏原市旭ケ丘4−698−1>
email fukue@cc.osaka-kyoiku.ac.jp

大学における天文学教育の理想的カリキュラム−天文学ミニマム−と,いくつかの大学で実際に行われている具体的な教程,そして現在流通している(大学・大学院向け)テキストの現状を報告する.理想とするカリキュラムは,時代によっても,目的によっても,そして相手によっても異なるだろう.しかし,たとえば研究者養成という視点に限っても,研究者が職人的マニアックナ存在から職業的キャリアトシテノ存在になった現代においては,研究者養成のためのスタンダードなカリキュラムが必要だと考える.

1.(個人的な)節目を迎えて

 教育系大学の理科教育講座で,(主として天文学分野の)卒論や実験などに携わるようになって10年,講義を受け持つようになって5年ほど経った(福江1993a参照).その間,大学の天文学として,“何を”“どのように”教えたらいいのか,ずっと悩み続けてきた(わけでもないが).それらについては,折りに触れ意見を表明してきたが(たとえば,福江1990,1993b,1994),最近やっとこさ?,日本天文学会でも天文教育への関心が高まってきたので,この機会を捉えて,若干の調査と整理を行った(10年の節目でもあるし).
 とくに今回は,日本天文学会内に設置された天文教育に関する作業部会(幹事:長谷川哲夫氏)と連動させて,
<天文学で何を教えるべきか>
という観点から大学教育の問題を考えた.
 以下,次節でカリキュラムの(現在的個人的)理想を,3節で具体例を,4節でテキストの現状を紹介する.

2.天文学ミニマム(宇宙物理学教程)

 まずタタキ台として,ぼく個人が現時点で理想とする現代天文学/宇宙物理学のカリキュラム(以下,ランダウの理論ミニマムの大向こうを張って,天文学ミニマムと呼ぶ)を表1に示す(物理学の講義などは含まれていない).
 表1の教程は,ぼく自身が受けた講義(や,それで物足りなかったもの),ぼく自身が行ってきた講義(や,それでまだ不十分だと思うもの),などなど,10何年かかけて,少しずつ修正しながら作成してきたものである.
 もちろん,天文学ミニマムは,時代によっても,目的によっても,相手(大学を卒業して天文学と縁が切れるのか,現場の先生になるのか,社会教育に従事するのか,研究者の道を歩むのかなど)によっても異なるだろう.
 しかし,たとえば研究者養成という視点に限っても,研究者が職人的マニアックナ存在から職業的キャリアトシテノ存在になった現代においては,スタンダードなカリキュラムも必要だと考える.天文教育に携わる人の場合も,職業として天文学に縁がない人の場合も,それぞれでミニマムはあるはずだ.
 ちなみに,表1の天文学ミニマムにおいては,卒業して天文学と縁が切れる人でも,最低限,『概論T:宇宙の構造と進化』(われわれが住んでいる宇宙の階層構造や宇宙が膨張しているという宇宙観ぐらいは知っておいて欲しい)と『観測実習』(望遠鏡を触ったり,実際に望遠鏡で星を観たりするぐらいは経験しておいて欲しい)の受講を推奨する.
 また,卒業して学校教育・社会教育など教育関係へ進む人の場合,やっぱり(現場で)教えることの10倍はバックグラウンドとして必要であることを思うと,『概論T:宇宙の構造と進化』,『概論U:天体の観測』,『概論V:天体の解析』,『室内演習』,『観測実習』,『各論T:星』,『各論U:銀河』,『各論V:宇宙』ぐらいは必要だろう.いまは現場でもパソコンが必須になっているし,『概論W:天体の数値解析』かそれに類するものも必要かもしれない.
 さらに卒業して研究の道へ進む人には,フルコースを推奨する.

3.実際のカリキュラム

 上で述べた天文学ミニマムは,ある特定の条件のもとでの理想的カリキュラムであるが,実際には,大学で,どのような講義や実験が行われているのだろうか? すこし具体例を調べてみることにした.  具体例を調べるために,ネットワークなどでアンケートを取ることも考えたが,他大学のカリキュラムを(ある特定の個人の理想で)評価したり批判したりすること自体はあまり意味がない.  そこでとりあえず関西風に身内の欠点をあげつらうことにして,基幹大学の例として,
   京都大学理学部宇宙物理学教室
のカリキュラムを,地方大学の例として,
   大阪教育大学教育学部教員養成課程
のカリキュラムを調べた.それぞれ表2と表3に示す(概ね,表1の天文学ミニマムと対応させてある).
3.1 京都大学宇宙物理学教室の場合
 実は,今回,十数年ぶりに履修の手引をみせてもらって,「え”っ!!」と思った.というのは,十数年前のまったく不十分なカリキュラムが固定イメージにあって,そのカリキュラムの欠点を天下に暴こうと思っていたためで,いい意味で,まるで期待外れだったからだ(うーんこれは困った.論旨が展開できない).
 宇宙物理学教室のカリキュラムは,(かつてに比べると)少なくとも講義題目だけは,格段に充実してきたように感じた(ただし,現役の学生の意見は尋ねていないので,その中身についてはわからない).
 まぁ,強いて問題点をあげれば,手法としては,X線と電波天文学の関係が弱い.対象では,やはり(昔と同じく)星の構造や宇宙論が弱いようだ (観測実習や計算機実習は,表には出ていないが,ゼミナールなどで選択できるようになっているようだ).
 でも,まぁ,ぼくの現在の理想−天文学ミニマム−に近い方だといえるだろう.やっぱり大きいとこはいいなぁ(もっともスタッフの数は変わっていないから,人の変化,時代の変化によるところも大きいのかもしれない).
3.2 大阪教育大学教員養成課程の場合
 しゃあないから自分とこだけでもケチをつけておこう.教員養成課程では,二人のスタッフで表3のカリキュラムを実践しているのだが,見てのとおり,天文学ミニマムを実現するのは,なかなか難しい.
 たとえば,天文学ミニマムの『概論U』や『概論V』に相当する講義に『地学T』というのがあるのだが,もともと天文学に関しては半年しかなかったのが,完全週休2日のあおりを受けてさらに半分になり,まとまった話をするのが難しくなって困っている状態である.各論では,宇宙論に関する分野も弱い(フリーディスカッションにすると必ず質問はそこへいくが).
 また大阪教育大学の場合も,とくに電波やX線などの波長を中心として,観測分野が弱い.
 さらに,天文学(地学)に関係した,情報処理・数値解析・画像処理などの講義も系統的には行っていない(「理科情報演習」という理科系全体の演習はある).一つの理由は,新キャンパスに移転して学内LANが整備されインターネットにはつながったのだが,(とくに研究室の)計算機環境がまだまだ悪いためだ(大学院重点化とかで重点化されたのは基幹大学だけらしく,うちなんか,研究室には1台のワークステーションもない状態である).
 しかも広範な天文学全領域をカバーするには,地方大学では,スタッフの数も少なすぎる.自分の“専門”だけでなく“専門外”のことも教えるよう努力しなければならないのは,もちろんだが,にしても,マンパワーがあまりに足らない(自分の“専門”すら教えられない人間がしばしばポストを占めている,というのも困ったものだが).
 基本的な問題は,いつの時代も,もの・かね・ひと−とくにマンパワー−なのかもしれない.

4.天文学のテキスト

 前節の具体例で見たように,京大(や東大,東北大,阪大など,おっきいとこ)のようにスタッフが揃っている教室では,それなりに充実した講義がある……はずである.しかし,基幹大学以外ではマンパワーが絶対的に足らないし,しかも,いまでは,さまざまな大学で多数の学生が天文学を学びつつある.
 もちろん,スタッフや講義が揃っていなくても,“(とくに大学において)知識は与えられるものではなく自分で掴むものである”という観点に立てば,天文学ミニマムを学ぶためには,多種多様なテキストが存在していれば,よい.
 そこで,天文学に関する大学レベルのテキストがどれくらい流通しているか,を知るために,京都から大阪にまたがる大都市圏で簡単な書店調査を行った.調べてまわった書店は,
 京都駸々堂書店(1994年1月23日他)
 大阪梅田紀伊國屋書店(1994年1月25日)
 京都丸善(1994年1月25日他)
 京都大学生協書籍部(1994年2月8日)
 京都駅前アバンティ・ブックセンター(1994年4月9日)
 その他(大阪教育大学図書館,同天文学研究室,自宅など)
である.ただし,/読み物・入門書・啓蒙書など/現在あまり流通していないもの/テキストとして適当でないと判断したもの(大幅に間違っている,内容が古い,体系的でない,テーマが特殊,テーマが高度すぎる,など)/和文以外のもの/などは除外した(もちろん,簡単な調査なので,もれ落ちたものもあるだろう).
 調査の結果を表4に示す(表1の天文学ミニマムとおおざっぱに対応).表4の中で,『』で囲んだものが,現在流通しているテキストの主なものである.また「」で囲んだものは,計画中・執筆中のテキストである.さらに【】で囲んだのは,天文学ミニマムと比べたときに欠けているテキストである(書名は適当につけた).
 大学・大学院向けテキストの現状を簡単にまとめると,ウンゼルトの『現代天文学』くらいしかなかった十数年前の大学院時代に比べ(残念ながらウンゼルトは絶版;しかも,いまから考えると,かなり偏っていた),現在では,(あくまで以前に比べてだが)はるかに改善されていることがわかった.しかし一方,分野によっては,まだまだ不足していることもわかった(とくに,表4の「」や【】で囲んだもの).具体的に欲しいものとしては,たとえば,X線天文学に関するテキスト,力学・流体力学・輻射過程など,天文学のさまざまな手法に関するテキスト,銀河天文学や銀河形成・宇宙論に関するテキスト,天体の数値解析・画像解析に関するテキスト,などだろうか.
 また,もちろん,テキストがある分野に対しても,テキストの選択度が増え,さらに良書の淘汰が起こるために,1種類だけでなく多種類のテキストが必要である.
 そうそう,英文のテキストが豊富にあるじゃぁないか,と言われる御甚もおられるだろうから,一言.たしかに洋書なら,カラフルで多種多様なテキストが揃っている.大学院向けのものもいろいろあり,ぼく自身もそういったテキストで勉強したのは事実である.しかし(大学院ならまだしも)学部で英文のテキストを勉強するのは,やはりバリアが高く,かなり余分な努力を要する.最近は(日本での)オリジナルな研究や自前のデータも多くなってきたのだし,教育の分野でもそろそろ英文偏愛主義を脱却し,日本で得られた自前のデータを用いたオリジナルなテキストを書いて,さらにはそれらを輸出するぐらいの心構えが欲しい.

5.新しい世紀に向けて

 大学における天文学教育の理想的カリキュラム<天文学ミニマム>と,いくつかの大学で実際に行われている具体的な教程,そして現在流通している(大学・大学院向け)テキストの現状を紹介した.
 天文学ミニマムを達成するのは,とくに(自分自身においても)天文学ミニマムが時間変化するので,現実にはなかなか難しい.が,アキレスと亀の関係なら,有限の時間で達成できるはずだ.一方,テキストは,相変わらず不十分ではあるものの,少しずつ増えてはきている.最初にも述べたように,研究者養成という視点に限っても,研究者が職人的マニアックナ存在から職業的キャリアトシテノ存在になった現代においては,できるだけ普遍的/標準的なカリキュラムや,それに則った多種多様なテキストが必要だと思う.
 大学教育の目的の一つは,
   先人の知識を体系化して伝えること
であろう.本稿では,その知識体系の継承という点から,理想的カリキュラムやテキストに関して論じた(その点では,大学における天文教育はまだまだ不十分である).
 もちろん体系的な知識を伝えることと同じくらいか,それ以上に重要なこととして,
   科学的・論理的思考をするトレーニング
とか,
   論理的な筋道に沿って考えをまとめ
   発表したり討論したりするトレーニング
も忘れてはならない(……こう並べると,ぼくの嫌いな指導要領みたいになってきた).これについてはまた別に述べたい.
 さらに,
   創造性,洞察力,直観力
のような,数値や論理ではわりきれない感性的側面を伸ばすことも大事だろう(……ますます指導要領みたいになってきた).創造性,洞察力,直観力などを培うこと自体は,もっと若いときでないとだめだろうが,ほっておけばすぐ鈍くなるので,大学でも研ぎ続けなければいけないということである.
 大学教育としては,これらのさまざまな要請を満たす包括的プログラムを考えなければならない.しかしながら,とくに最後のあたりの問題については,ぼく自身はまだよくわからない.いい方法があれば,ご教示願いたい.
 まぁ,いずれにせよ,あらゆる機会をとらえて,あらゆる方法で「天文教」を布教したいものである.

 しばしば実りある議論をしてくれる横尾武夫氏と,いつも実験台になってくれる学生諸君に感謝します.本稿は,先日,吹田で開催された1994年度日本天文学会春季年会でのポスター発表用原稿をもとにしたものですが,天文教育に関する複数講演を事実上黙認してくれた,年会実行委員会に謝意を表します.また,同年会で実施された天文学の教科書展へテキストを寄贈いただいた,サイエンス社,地人書館,朝倉書店の各社にも,この場を借りて,ご協力を感謝いたします.

参考文献
福江 純,1990,第4回天文教育普及研究会集録,p27.
福江 純,1993a,天文月報,86,75.
福江 純,1993b,21世紀に向けての天文学長期計画シンポジウム資料集,p187.

Astronomy Minimum
Jun FUKUE

Astronomical Institute, Osaka Kyoiku University, Kashiwara, Osaka 543

Abstract:
We propose the minimum/standard curriculum for astronomy and astrophysics courses in universities, although it should be somewhat modified, depending on times, purposes, objects, and so on. We also show and discuss the concrete curricula in several universities and text books now circulating in Japan. In these days when scholars/researchers professionalize (popularize), we argue, it is required the standard curriculum for training researchers.