01kagaku 『科学』71巻,593頁(2001年)<特集 あなたが考える科学とは>より


気持ちイイ“科楽”−<楽道>のススメ

福江 純
Jun Fukue
大阪教育大学(天文楽者)

まず第一に、科学とはやはり“科楽”であろう。そして何よりも、科学とは“気持ちイイコト”に違いない。ここに科学を楽しむ道<楽道>を布教したい。

 さて諸科を学ぶとされる科学においては、自然に潜むさまざまな謎や不思議を探し出し、いろいろな手法で解き明かし、判明した事実や新たな知識や概念を人々に伝えることが基本である。このプロセスには、発見・解決・伝授を味わう三重丸の楽しみがある。科学のもつこのような楽しみは、科学だけの特権のように思われがちだが、案外とそうでもないのではなかろうか。実際、創作・音楽・絵画・芸の道などなど、あらゆるクリエイティブな道についても、同じような楽しみが言えそうだ。すなわち、他の芸道においても、内的要因や外的要因などの原因に触発されて、新しいモノを自分なりの手法で表現し、そして人々に観てもらい評価を受けるのが基本である。(唯一、科学が他の芸道と違う点は、他の芸道の成果は一般的に主観的な評価を受けるが、科学的成果については一応客観的な評価を受けることになっているという点ぐらいだろう。)これら一般の芸の道も、科学と同様に、しばしば厳しく険しいものだが、にもかかわらず、芸道は基本的には楽しいものであるというコンセンサスがある。一方で、科学=楽しいものという等式が成り立っていないのは、まだまだ科学が芸として磨かれていないためだろう。だからこそ、まずは、科学は“科楽”なのだと、改めてしっかり認識したい。

 さらに、その創造性、個々人での楽しみ方、人類社会への還元という観点からは、芸の道である科学は、とうぜんながら、人類文化の一部でもある。科学的活動は文化の創造であり、センス・オブ・ワンダーに満ちた科学的発見は当事者のみならず多くの人々に解明のカタルシスをもたらし、そして科学の普及教育活動は文化の継承行動に他ならない。映画でも音楽でも、面白かったモノは他人に伝え、面白さを共有したい。それが人情ってもんじゃなかろうか? 科学研究にしたって同じだ。みんなで研究を楽しんでいきたい…何事も分かち合えば、楽しさ2倍、苦しさ半分、理解はエクスタシーである。文化の自己複製子をミーム(文化模倣子)と呼ぶが、ミーム的には、科学の創造と伝達は、遺伝子を伝えようとする衝動と同じく、生命の本能的行動だと言える。だからこそ、本来的に、科学研究および科学教育は、“楽しく気持ちのイイコト”のはずなのだ。本能のままに遺伝子をバラまくと顰蹙を買うが、ミームをバラまくことに関しては、本能に忠実でありたい。

 ぼくにとって、“科学する”こととは、たくさんある楽しいことの一つであり、好きな道の一つに過ぎない。科学的活動や科学的成果を見聞きすることは、楽しさレベルでは、SFを読んだり、マンガやアニメを見たり、ゲームをしたりすることと同じレベルに存在している。その目線でもって、芸として文化としての科学を追求していきたいものだ。その道こそは、究極の科楽の道<楽道>であると信じている。


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