今は昔,まだ学生というものをやっていた頃, 御陵(みささぎ)という所に4年間下宿していた. (この御陵という地名は,そこにある天智天皇陵から来ている.) この秋に,たまたま御陵の隣駅の山科で研究会があったので, 中日のポカポカした日に,フラっと足が向いていた. 実に20年ぶりである.

旧京阪御陵駅跡

以前は,京都と大津を結ぶ京阪京津線は京都の三条から路面を走っていて, この御陵から路面を外れていた. いまは,地下鉄東西線の開通などと併せ,京阪京津線も地下に潜り, 御陵の少し先,山科駅の手前で地上に出ている. 手前の道は国道1号線.

同上

京阪が地上を走っていた当時は, この細い道は御陵駅と交差していて, 遮断機がなかなか開かずの踏切だった. この道の先に,中華食堂や手打ちウドンの店があった.

国道1号線から高速の高架を望む

左手に天智天皇陵.

天智天皇陵入り口
天智天皇陵東側の道

女子高生の前で道が右に折れている場所に下宿があった. 女子高生が写ったのは“偶然”.

上の写真で女子高生がいたあたりから写した, 昔住んでいた下宿があったところ. 下宿は大きな家の2階を間借りしていたのだが, この写真に写っている当たりが全部一つの土地で, そこに家や駐車場があったが, いまは2軒の家が建っている. 懐かしさを求めてきたが,ぜーんぜん,面影なし. しゃあないな,20年も前だし.
琵琶湖疎水.

2つ上の写真に見える細い小道をずっと行ったところ. 下宿のあったところから,山際の琵琶湖疎水まで, もっと近いと思っていたら,記憶よりも意外と距離があった (体力の低下を忘れていた?).

同上

この後,小一時間歩いて,研究会の会場の, 山科のHotel Brighton Cityにヘトヘトで辿り着いた.

同上

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