林忠四郎インタビュー@京都
(2006/05/09)

生きる伝説★林 忠四郎先生★のインタビューに行った (タイトルでは、“先生”を付けるのでさえ、尊称が足らないので、 歴史上の人物と同じく、敬称を省略させてもらうことにした)。

そもそも、日本天文学会が2008年に創設百周年を迎えるので、 百周年記念事業として、天文学の教科書シリーズの製作と、 日本天文学会史の編纂などを行うことになった。 学会史では、基本的には日本の天文学の発展史をまとめるわけだが、 その一部として、学会/学界の発展に大きく貢献された長老の方々数人に インタビューをして、生の記録として掲載することになった。 で、ぼくもその学会史編纂委員会の委員ってらものになってるわけで、 今回、インタビューに同席するという、すっごいラッキーなことになった。 インタビュアーは編纂委員会委員長の尾崎洋二先生で、 ぼくは記録係として同伴したのだが、音声記録だけではもったいないし、 折角の機会なので、ポスドクの渡会くんにも頼んで、 デジタルビデオの記録も撮ることになった。

さて、インタビュー当日、訪問の約束は午後だったが、 昼間に京都駅で落ち合って、簡単な打ち合わせを兼ねて、昼食を取った。 そして、近鉄で林先生の自宅のある伏見へ向かう。
ほぼ時間通りに到着して、奥様に案内されて客間へ。 尾崎先生は自然に挨拶されていたが (後のインタビューで知ったのだが、尾崎先生は、 一時、林研究室に居たこともあるそうだ)、 もう、ぼくと渡会くんは完全にカチンコチン。 挨拶もそこそこに、手と足を一緒に出すようなギクシャク状態で、 録音機材などのセッティングを開始した。 85歳の生きた伝説の存在感は、かようにも、 圧倒的なものがあった。

インタビュー自体は、尾崎先生が事前に打ち合わせされた項目に従い、

  1. 物理学を選んだ理由や学生時代のことなど
  2. ビッグバンにおける元素合成の仕事
  3. 恒星進化と林フェイズ
  4. 原始太陽系星雲のモデル
  5. 林研究室と人材育成など
という流れで、30分ごとぐらいにDVDの交換による中断を挟みながら、 滞りなく進んだ。 いずれ、学会史などでも報告されるだろうが、 一言一言が聞き逃せないような貴重な体験をさせてもらった。

天文学史的にも、学問的にも、研究者としても、教育者としても、 インタビューの内容すべてが面白かったのだが、 個人的には、とくに印象的だったことが3つほどあった。
まず一つは、ぼくの名前を覚えていただいていたことだ。 以前に国際会議や京都賞のときなどで、お会いできたチャンスに、 挨拶させていただいた(写真を撮らせていただいた)ことがある。 一番最近が、たぶん10年ほど前の京都で行われたIAU総会のときで、 そのときのことを覚えておられ、 “福江さんとはIAUのときに会いましたね”と言われた。 名前を覚えておいていただいたことはもちろん嬉しかったが、 それ以上に、うーん、驚異的な記憶力だ!
2番目は、原始星が対流状態で主系列に至る“林フェイズ”で、 対流状態になる原因について、 まったく勘違いしていたことがわかった。 だから、講義でも、何十年もまったく逆の説明をしていたことになる (トホホ)。

いままでのウソの説明
味噌汁を注いだときに、お椀の底に比べて、 表面の方は蒸発で温度が下がるので、 お椀の底と表面とで温度差が生じて、 味噌汁全体が対流状態になる。 原始星が誕生したときも、 中心部は重力収縮で温度が上がるが、 表面は熱を放射して温度が下がるので、 中心と表面とで温度差が生じて、 星全体が対流状態になるのだ。
…でも、ほとんどの研究者も、おそらく、こう説明するんじゃなかろうか。 ぼく自身は、林先生が説明されたようなクリアな説明を聞いたことはなかったが。
ただしい説明
原始星は適当に内部の温度が高いため、 星の内部のかなり広い範囲にわたって、 水素が不完全電離の状態になっている。 そして、温度が高くなるはずの中心部では、 水素の電離度が高くなって、それほど温度が上がらない。 その結果、星全体で、温度勾配があまり大きくなれない! (専門的には、ガスが完全に中性か完全に電離していれば、 ポリトロープ指数が5/3で断熱的になるが、 不完全電離だとポリトロープ指数が1に近くなる)。 もし温度勾配が十分に大きければ、 (温度勾配に比例する)輻射によるエネルギー輸送が働いて、 対流によるエネルギー輸送は重要でなくなる (太陽の中心領域や高温度星の大気)。 しかし、原始星では温度勾配が小さいので、 輻射によるエネルギー輸送の効率が悪く、 中心で発生した熱を逃がすために、対流が生じる。
…っと。うーん、まだ十分に咀嚼できていないなぁ。 もっと勉強しよ。

最後に3番目の衝撃。 林先生が原始太陽系星雲の研究を開始されたのが、 ちょうど50歳のときだったそうだ。 ぼく自身、去年から相対論的輻射輸送に取り組み始めていて、 少し頑張ってみるかな、という矢先だったので、 これはショックというよりは、むしろ、 とても心強い言葉だった。 林先生に言わせれば、50など、まだまだ若い口で、 60過ぎても新しいことができるそうで (退官してからパソコンで計算するためC言語を覚えられたそうだ)、 これには尾崎先生も舌を巻いておられた。 そっか、50ってまだ若いのか。 ちょっとこのところ人生に疲れ気味だったけど(笑)、 なんだかすっごく元気づけられた。