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ブラックホールの命名者はホイーラーではない

OJ 287 graphic art
OJ 287 の連星ブラックホール
(イラスト: 中西星子)

科学用語としての「ブラックホール」の名付け親はジョン・ホイーラーとされることがありますが,事実ではありません.ただしホイーラーがこの用語を普及させた最大の功績者であることに疑いの余地はありません.

ブラックホールは,1915年にカール・シュヴァルツシルトによって導かれた一般相対性理論の厳密解から初めて予言された,光速度でも脱出できない時空の領域のことです.太陽より30〜40倍以上重たい恒星が一生の最期に重力崩壊することで形成されることから「重力的に完全に崩壊した物体 (gravitationally completely collapsed object)」などと呼ばれていました.ではブラックホールという用語はいつから使われるようになったのでしょうか?

科学ジャーナリストのマーシャ・バートジアックによれば,1963年にダラスで開かれた Texas Symposium on Relativistic Astrophysics において,誰かがブラックホールという呼び方を使っていたのが,確認されている最初の使用例です.また形に残る最初の使用例は,科学ジャーナリストのアン・ユーイングが『Science News Letter』誌の1964年1月18日号に書いた記事「"Black Holes" in Space」です.ホイーラーは1967年にニューヨークの NASA ゴダード研究所で行われたパルサーについての講演の最中,

ホイーラ「重力的に完全に崩壊した物体,は長すぎ.もっと短い呼び方が必要」
ある聴衆「ブラックホールなんてどうですか?」

それをホイーラーが「完璧に適切な呼び方」と気に入って使い出したところ,この用語は爆発的に広まることになりました.すなわち,それまでに物理学業界の一部ではブラックホールとの呼び方がある程度普及していたことをうかがわせます.

ちなみに,18世紀の科学者ジョン・ミッチェルは,ニュートン力学の時代において既に「脱出速度が光速を超えるために観ることができない暗黒天体」について考察していました.さらに,そのような暗黒天体を直接見ることはできないが,周囲の天体の運動からその存在を観測できることまで指摘していました.これは2020年のノーベル物理学賞の対象となった,天の川銀河の中心に位置する約400万太陽質量の超大質量ブラックホール Sgr A* の存在を明らかにした観測の概念を200年先取りしていたことになります (その1784年の論文は英語なので,平均的な日本人なら読めます). ただし一般相対論によるブラックホールと異なり,ニュートン力学による暗黒天体は一時的であれば脱出可能です (地上でボールを上向きに投げるようなものです.最終的には重力で引き戻されますが,外向きに進むこと自体は許容されます).一方,一般相対論によるブラックホールは,いったん事象の地平面の中に入ると,中心の特異点から離れる方向の空間が存在しなくなります.そのためどのように運動しても必ず内側へ進むことになり,一瞬たりとも外向きに動くことはできません.すなわち光だろうがなんだろうが脱出できません.


松本 桂 (大阪教育大学 天文学研究室)
e-mail: katsura@cc.osaka-kyoiku.ac.jp