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惑星の数の変遷

2006年に惑星の定義が国際天文学連合によって定められ、それまで9番目の惑星だった冥王星は、もはや惑星とは呼ばれなくなりました。冥王星を他の惑星と同じくくりで分類するのが適切なのかどうか、天文学者の間では以前から問題となっていたのですが、その判断をもはや先延ばしできなくなった要因のひとつが、冥王星に匹敵するエリスの発見です。なぜならエリス級の天体は今後さらに発見される可能性があり、もしエリスを10番目の惑星とすると、今後は「惑星の数」が際限なく増えるかもしれないと予想されたからです。それはそれで良いとする考えがある一方で、惑星とは古来より人類にとって様々に思い入れのある概念であり、その文化的な影響も無視できないとする考えもありました。

じつは惑星の数が際限なく増えそうだから惑星の分類を再考しよう、とする試みは歴史上これまでもあり、実際のところ惑星の数は時代とともに変遷してきました。


天動説の時代:7個

おたがいの位置関係が固定された星座の星々とは異なり、星座の間をつねに動く惑星は古くから認識されていました。天動説の考え方では、宇宙の中心である地球はそもそも惑星になりようがありません。一方で地球から見ると天球面での太陽と月の動きは「惑星」でした。また望遠鏡が発明されるまでは裸眼で見える星しか知られていませんでした。したがって天動説にもとづく惑星とは「地球をまわる月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星の7個」でした。


地動説の時代:7個 → 6個

現代的な太陽系像の基本となった16世紀のコペルニクスの地動説では、宇宙の中心は太陽であり、地球は太陽をまわる天体の一つにすぎません。したがって地動説にもとづけば、太陽は惑星ではなく、月だけは例外的に地球をまわり、惑星とは「太陽をまわる水星、金星、地球、火星、木星、土星の6個」となりました。


衛星が惑星だった時代:6個 → 18個 → 7個

1609年:宇宙の観測手段として天体望遠鏡が導入されました。

1610年:ガリレオ・ガリレイは木星をまわるイオ、エウロパ、カリスト、ガニメデを発見し「木星をまわる4個の惑星」としました。惑星の数は10個となりました。

1655年:クリスティアン・ホイヘンスは土星をまわるタイタンを発見しました。ホイヘンスはこれを惑星、星、月、従者とさまざまに表記しました。いちおう惑星の数は11個となりました。

1671年:ジョバンニ・カッシーニは土星をまわるイアペトスを発見し「土星をまわる新しい惑星」としました。惑星の数は12個となりました。

1672年:ジョバンニ・カッシーニは土星をまわるレアを発見しました。惑星の数は13個となりました。

1684年:ジョバンニ・カッシーニは土星をまわるディオネとテティスを発見しました。惑星の数は15個となりました。惑星の数が目に見えて増えてきたこの頃から、自ら太陽を直接まわる天体を主惑星 (primary planets)、 主惑星をまわることで間接的に太陽をまわる天体を従惑星 (secondary planets) あるいは従者を意味する衛星 (satellites) と呼ぶようになりました。ここからおよそ100年間、惑星の数は15個でした。

1781年:ウィリアム・ハーシェルは土星より遠い軌道で太陽をまわる主惑星となる天王星を発見しました。惑星の数は16個となりました。また天王星はティティウス・ボーデの法則に沿う惑星だったため、火星と木星の間に存在するであろう未知の惑星への期待ががぜん高まりました。

1787年:ウィリアム・ハーシェルは天王星をまわるティタニアとオベロンを発見しました。惑星の数は18個となりました。なおハーシェルはこの2天体を初めから従惑星または衛星と表記しましたが、天文学者が衛星に対して惑星との呼称を用いたのはこれが最後となりました。すなわち、主惑星である天王星の発見および多数の従惑星の発見が積み重なった結果、太陽を直接まわる天体のみが惑星とされ始めました。

そして1800年頃までに、惑星をまわる天体に対しては衛星または月 (moons) の呼称が固まりました。その結果、惑星とは「太陽を直接まわる水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星の7個」となりました。


小惑星が惑星だった時代:7個 → 23個 → 8個

1801年:ジュゼッペ・ピアッツィは火星と木星の軌道間で太陽をまわるケレスを発見しました。これは天文学者が発見を期待していた、ティティウス・ボーデの法則が予言する天体だったため、ごく自然に惑星とされました。惑星の数は8個となりました。

1802年:ヴィルヘルム・オルバースは火星と木星の軌道間にパラスを発見しました (オルバースのパラドクスに名が冠されている人でもあります)。惑星の数は9個となりました。

1804年:カール・ハーディングは火星と木星の軌道間にジュノーを発見しました。惑星の数は10個となりました。

1807年:ヴィルヘルム・オルバースは火星と木星の軌道間にベスタを発見しました。惑星の数は11個となりました。これらの火星と木星の間に位置する惑星は、他の惑星とは異なり小さな点光源にしか見えないことから、ウィリアム・ハーシェルは「asteroid」との呼称を提案しましたが、当時の大勢としてはまだ惑星として扱われました。

1845年:カール・ヘンケは火星と木星の軌道間にアストラエアを発見しました。「asteroid」の5個目が発見されたことによって、それらの惑星扱いの雲行きがだんだんあやしくなってきました。惑星の数は12個となりました。

1846年:ジョン・アダムスとユルバン・ルベリエは天王星の軌道が万有引力の法則から逸脱していることから未知の惑星の存在を理論計算で予言しました。そしてルベリエの位置予測に基づきヨハン・ガレは天王星より遠い軌道で太陽をまわる海王星を発見しました。海王星はティティウス・ボーデの法則には沿っていませんでしたが、点光源ではなく面積をともなう見た目 (すなわち大きさ) を持っていました。惑星の数は13個となりました。

1847年:カール・ヘンケは火星と木星の軌道間にヘーベを発見しました。「asteroid」の6個目が発見されたことによって、それらの惑星扱いの雲行きがますますあやしくなってきました。惑星の数は14個となりました。

1847年:ジョン・ハインドは火星と木星の軌道間にイリスとフローラを発見しました (うさぎ座のクリムゾン星を発見した人でもあります)。「asteroid」の8個目が発見されたことによって、それらの惑星扱いの雲行きがいよいよあやしくなってきました。惑星の数は16個となりました。

そして1851年までの4年間でさらに7個の「asteroid」が発見されました。この段になって、天文学者はそれらを惑星として計上するのを止めることにしました。ケレスをはじめとする15個の「asteroid」は他の8つの惑星よりもあきらかに小さなサイズの天体であることから、惑星とは別のカテゴリとして小惑星 (asteroids または minor planets) と呼ぶことしました。また発見順に小惑星番号を振って整理することにしました (1番はケレス、2番はパラス…と続きます)。その結果、惑星とは「太陽をまわる比較的大きな天体である水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星の8個」となりました。


ナインプラネッツの時代:8個 → 9個

1930年:クライド・トンボーは海王星より遠い軌道で太陽をまわる冥王星を発見しました。当初この天体は地球くらいの大きさではないかと推定されたため、ごく自然に惑星とされました (実際には月よりも小さかったのですが)。惑星の数は9個となりました。

その後、冥王星の研究が進むにつれて惑星としての特異性が目立ってきました。最も軽い惑星であった水星の1/25の重さしかないこと、公転軌道の一部は海王星より内側へ来ること、1978年に発見された衛星カロンは冥王星の半分以上の大きさを持つ (二重惑星とみなせるほど異例に大きく重い) ことなどです。それでも冥王星は、当時としてはどの小惑星よりも大きく、また海王星より遠い場所で見つかっていた随一の天体であったため、多少例外的ではあるが惑星だとみなされ続けました。

そしてこの「9個の惑星」(nine planets) は、以降の20世紀のさまざまな文化へも影響を与えました。


2006年の決議5Aの時代:9個 → 8個

1992年:海王星より遠い軌道で太陽をまわる小惑星アルビオンが発見されました。これは冥王星・カロン以降で初めて発見された海王星より遠い天体 (太陽系外縁天体) でした。しかし冥王星の1/20の大きさしかなく誰も10番目の惑星とはみなしませんでした。

1998年:太陽系外縁天体の相次ぐ発見にともない、海王星より外側には冥王星と似たような天体が多数あるのではないか、また冥王星は他の8惑星とは性質がかなり異なり、どちらかといえば小惑星に分類する方が科学的にはすっきりするのではないかと考えられるようになりました。そして小惑星の発見数が10000個に迫ろうとしていた1998年に、節目となる小惑星番号10000を冥王星に付与してはどうか?との意見が出て、ちょっとした騒動になりました。なんでかというと、アメリカ人が発見した唯一の惑星であった冥王星を、国際天文学連合 (フランスに本部がある) の一部門である小惑星センター (を主導していたイギリス人天文学者) が亡きものにしようとしている!と一部のアメリカ人の間でヨーロッパへのライバル意識が働いたのです。結局このときは小惑星番号は付与されませんでした。

2001年:冥王星の約1/3の大きさの太陽系外縁天体イクシオンが発見されました。

2002年:冥王星の約1/2の大きさの太陽系外縁天体クワオワーが発見されました。

2005年:ついに冥王星とほぼ同じ大きさの太陽系外縁天体エリスが発見されました。発見者も含め一部では非公式に「10番目の惑星」と表現されました。そして冒頭で述べたように、いよいよ「どのような天体を惑星と呼ぶのか?」の判断をもはや先送りできなくなりました。

2006年:国際天文学連合の総会にて太陽系内天体の分類が議論されました。その結果、決議5Aによって太陽系の天体は惑星 (planets)、準惑星 (dwarf planets)、太陽系小天体 (small solar system bodies) の3つに分類され、それぞれの定義が決められました (なお衛星についてはいまだ未定義です)。そして決議5Aを受けた決議6Aによって冥王星は惑星ではなく準惑星へと再分類され、現在のところ惑星とは「惑星としての3つの条件を全て満たす水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星の8個」となっています。

ひとまず惑星の定義が決まったことによって、もし今後この定義に合致する天体が新たに発見されれば、正真正銘の9番目の惑星となります。しかし今のところそのような発見の兆しは全くありません。準惑星がこれから増える可能性は割とあります。

なお現在の惑星の定義は文章のみで構築されており、定性的であると批判する天文学者もいます。また太陽系の惑星だけが想定されており、これまで何千個も見つかっている太陽系外惑星には適用されません。定量的かつ宇宙であまねく普遍的な惑星の定義なるものは今のところ存在していません。


松本 桂 (大阪教育大学 天文学研究室)