『天文月報』84,89(1991年)より
天 文 学 術 誌 の 興 亡 3

福江 純
大阪教育大
Jun Fukue:SECOND PUBLICATIONS

1 半昔

 月日の経つのは早いもので,前に天文学関係のメジャーな学術誌の引用調査をして以来,もう5年になります(『天文月報』79巻98頁).その間には,柴田氏らによって,日本人著者の論文引用に関する興味深い調査も行われました.一昔にはまだ間がありますが,本稿ではその後の追跡調査について簡単に報告したいと思います.以下,次節で観測方法について少し触れ,3節で観測結果をまとめます.なおタイトルに「興亡3」とありますが,これは「興亡2」の間違いではありません(後述).

2 観測

 観測方法は前回と同じく,京都大学附属図書館に設置されている科学引用索引SCI(Science Citation Index)の雑誌引用報告JCR(Journal Citation Reports)を用いて行いました.前回は17誌を観測しましたが,今回は,A&Ap(Astron. Astrophys.),AJ(Astron. J.),AZh(Soviet Astron.),ApJ(Astrophys. J.),ApSpSci(Astrophys. Space Sci.),MN(Monthly Notices Roy. Astron. Soc.),PTP(Prog. Theor. Phys.),PASJ(Publ. Astron. Soc. Japan),PASP(Publ. Astron. Soc. Pacific),SP(Sol. Phys.)の10誌に絞りました.SCIについて詳しくは,前回の報告およびその参考文献を参照して下さい.
 観測を行ったのは1990年9月25日で,観測時点では,JCRは1988年分までが利用可能でした.当日はあいにくの小雨模様でしたが,ノート型パソコンのおかげで,約2時間半ほどでデータを取得できました.5年前の調査の際には集計用紙をかかえていったことを思うと,世の中の変化には目をみはるものがあります.

3 結果

 以下,得られたデータの整約結果を順に述べていきます.

掲載論文数

 観測した10誌のうちから7誌について,掲載論文数の年次推移を図1に示します.グラフの右側5つの観測点が,今回新しく加わったデータです.


図1 掲載論文数の年次推移

 さて前回指摘した傾向は,だいたい今回も同じでした.すなわち,@ApJの掲載数は頭打ちで,雑誌としては(物理的)限界に近いようです.AA&ApやMNは伸びています.BPASJやPASPは横ばいです.Cその他として,煩雑になるためグラフには示していませんが,AZhはPASP程度の掲載数でほぼ横ばい,PTPは引続き微減傾向,そしてSPは波があります.
 とくにPASJについて,国外の雑誌への論文の流出が相変わらず続いているのは残念です.筆者としてはこの問題に関して少なからず意見を持っており,若手の会のサーキュラーでも表明したことがありますが,ここでは差し控えます.
 またPASJは1986年から年6分冊になりましたが,今のところその影響はないようです.もう少し長い目で見ないとわかりません.が,いずれにせよ,編集部の方でもかなりの企業努力が必要でしょう.

衝撃因子

 ある雑誌のX年における衝撃因子IF(Impact Factor)とは,
    前2年間に掲載された論文のX年での被引用回数
IF=−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           前2年間の掲載論文数
で定義されます.


図2 衝撃因子の年次推移

 図2にIFの年次推移を示します.すぐわかるのは,まず@ApJのIF,相変わらず高いですが,この数年は下降気味です.ApJ帝国にもかげりが見えるようです.帝国というものは,いずれは滅びるのが歴史の教えるところですが,世界の天文学の繁栄のためには,もう少しもってもらわないと困ります.AA&ApやAJ,MNのような中堅どころはあまり変化ありません.BPASJとPASPはこの数年いい勝負です.CApSpSciはIFに関する限り,完全に没落の一途をたどっています.編集方針に問題があることはあきらかです.かつてはいい雑誌だったのですが.Dその他,AZhのIFは相変わらず0.3から0.5程度と異常に小さく,PTPのIFは1.5から2ぐらい,そしてSPのIFは掲載数と同じく大きく波があります.
 さてPASJに限って言えば,前回すでにその傾向が現れていましたが,IFは,このところずっと上昇傾向にあるようです.日本人の研究やPASJの知名度があがってきたためだと思います.いずれにせよ,他の雑誌のIFが無変化か減少しているなかで,これは大健闘していると言えるでしょう(もちろんIFが高けりゃいいというものではありませんが).
 なおPASJの1986年のIFがとくに大きい理由は,裏付けはないですが,てんまの影響かも知れません.というのは,1984年にてんま特集があり,後でも述べるように,約2年後に被引用のピークがくるためです.もしそうなら,ぎんが特集についてどうなるか楽しみですね.

即応指数

 ある雑誌のX年における即応指数II(Immediancy Index)とは,
   X年に掲載された論文のX年での被引用回数
II=−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           X年の掲載論文数
で定義されます.


図3 即応指数の年次推移

 図3がIIの年次推移です(前回の報告では,データの表しか載せませんでした).バラツキが大きく,図3からはあまり意味のある情報は読み取れません.というより,出版年内の引用はあまりあてにならないということでしょう(柴田氏らの報告参照).

被引用指数

 個人の論文の引用調査では,論文出版後,被引用回数がどのように変化するかが,論文の寿命と関連して,しばしば調べられます.JCRにはある雑誌の延べ被引用回数も出ていますので,それらを使って,雑誌の被引用度を求めてみました.1982年に発行された雑誌のX年における被引用指数CI1982として,
      1982年に掲載された論文のX年での被引用回数
CI1982=−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
             1982年の掲載論文数
のように定義しましょう.すなわち被引用指数は1論文あたりの平均被引用回数にほかなりません.また1982年を選んだ理由は,データが完備しているのが1982年までだったためです.なお前回の報告で定義した永年指数は,この被引用指数を裏側から見たものに相当します.


図4 被引用指数の年次推移

 CI1982の年次推移を示したのが図4です.永年指数の場合と似ていますが,ある年にある雑誌で出版された論文の平均的な被引用回数は,出版後約2年でピークを迎え,その後,指数的に減少します.これは個人の論文の引用の場合とまったく同じです(そりゃまそうだ).またこの傾向に対して,雑誌による違いもないようです.


図5 引用の半減期

 試しに指数的に減少し始める時期(今の場合1984年以降)の被引用指数が,
   CI1982X)∝2-(X-1984)/T
という形(は半減期)をしていると仮定して,1984年以降の5つのデータ点に対して最小二乗法でフィッティングしたところ,図5のようになりました.半減期は,A&Apが5.57年,ApJが4.93年,MNが6.01年,PASJが4.14年です.他の雑誌も概ね4年から6年ぐらいの範囲になります.ただしPASJの半減期はあまり信頼できる値ではありません.というのも,A&ApやApJ,MNの被引用回数は数千回のオーダーですが,PASJの被引用回数は数十回のオーダーなので母数が小さすぎるからです.図5からもPASJはバラツキが大きいことがわかります.

 以上が今回の主な結果です.
 さて本来なら,前回のように,ここで観測結果をもとにした議論や提言があってしかるべきでしょう.実際,前回の報告において議論した問題で,変わったこともあれば変わらなかったこともあります.実現したこともしなかったこともあります.が,前回の報告から半昔しか経っていませんし,本稿は“ノート”ということで,議論は端折ることにします.
 以前に調査を行なったときの心づもりとしては,数年の間には,パブリと天文学術誌の帝国ApJについて詳しく比較研究し「興亡2/Publications and Empire」としてまとめようと考えていました.ところが数年前から,パブリが新体制になったり,編集の電算化がスタートしたり,予想外のピッチでパブリの変化が起こりました.現在もまだ進行中です.定款改訂問題など,天文学会自体にも変化の動きがあります.そこでゆらぎが完全に落ち着いてしまう前に,とりあえず「興亡2」は欠番として,追跡調査を報告することにしました.
 次のパブリはあなたが創るものです.

 いろいろと議論して頂いた柴田一成氏に感謝します.

参考文献
福江 純「天文学術誌の興亡」天文月報,1986年4月号98頁
福江 純「パブリの問題について」天文・天体物理若手の会サーキュラー,1989年4月,No.3.
柴田一成・平野れい子「PASJ論文引用の研究」天文月報,1991年3月号86頁
福江 純「日本天文学会と天文教育」第4回天文教育研究会集録(西はりま天文台)


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