『天文月報』87,195(1994年)より
日 本 天 文 学 界 の 系 図

福江 純・黒川竜男
<大阪教育大学 〒582 柏原市旭ケ丘4−698−1>
Jun Fukue and Tatsuo Kurokawa:The Astronomer's Tree in Japan

 日本の天文学者の系図を,日本天文学会特別会員を母集団として調査した.その結果,つぎのようなことがわかった.@弟子の平均人数は約3人である.すなわち子孫(弟子)は拡大再生産する.また多産系(弟子が多い学派)では,その孫弟子,ひまご弟子も多い.A研究者がたくさんの弟子を養成する時期−研究者の活動期を表す一つの目安−は42歳±8歳ぐらいである.日本の現代天文学の流れなどについても若干の議論をする.

1. 最後の青函連絡船

 筆者の一人(JF)が,1987年の秋に札幌で開催された日本天文学会の帰路,青函連絡船に乗ったとき,当時京都大学教授だった川口市郎氏とたまたま同席した.道中,いろいろな雑談をして過ごさせていただいたのだが,その折りに,氏が「野辺山(電波観測所)は100億円かかったけれど,論文生産量でみれば,林学派は野辺山−100億円−に匹敵する・・・」というようなことを話されたのが,妙に印象に残った.そしてそのうち時間があれば,学派と論文生産量の関係など調べてみようかなと,なんとなく考えていたのであるが,今回,卒論という形で,学派だけではあるが,調べる機会が生じた.思えば青函連絡船,最後の年だった.
 以下,2節で調査方法とそれに関連した議論をし,3節で得られた系図について触れ,4節で初期に設定した目的と整約結果を述べ,5節で結果についての議論を行う.なお文中では敬称を略させていただく.

2. 観測

 天文学者の系図を調べるのだから,観測対象は,“天文学者(天文学の研究者)”とすべきところだろう.しかしながら,天文学者の定義があまり明確ではないし,かりに定義しても(たとえば学術論文を一つ以上書いている人)母集団としてリストアップするのが大変である.そこで今回の調査では,日本天文学会特別会員が日本の天文学者の第0近似であると仮定し,特別会員を観測対象とした.
 また師弟関係を調べるための調査方法としては,アンケート調査を基本とした.ただし,データの欠測を補うために,生年については出版物の著者紹介や天文天体物理若手の会名簿を参考にした.
2.1 アンケート
 まず1992年10月に,国内在住の日本天文学会特別会員883人を対象として,図1のようなアンケートを送った.


図1 依頼状とアンケート用紙

 内容:基本的な設問は,師匠と弟子を挙げてもらうことに限定した.ただし周辺に関する情報を得るために,師匠の師匠や(本人の)兄弟弟子もわかる範囲で答えてもらうことにした.さらに後述する目的のために,生年も記入していただいた.内容に関する議論は後で行う.
 発送:アンケートに限らないが,(とりわけ面識のない相手に)手紙を出して返事が欲しければ,切手を貼って表書きをした返信用封筒を同封するのが,ごく常識的なエチケットである.ただしそのためにはかなりの予算が必要であり,地方大学の研究費では苦しいため,返信分については回答者の好意にすがることにした.非常識な発送手順については,この場を借りてお詫びしておきたい.
 回収:アンケート調査というものは,(切手を貼った返信用封筒を同封していても)3割返ってくればいい方である.今回のように返信料を回答者に負担してもらうような調査では,回答率はかなり低いのではないかと,それだけが不安のタネであった.もし回答率が1割を切れば,まともなデータにはならないだろうから,全面的な見直しをするつもりだった.いざ蓋を開けてみると,アンケートに対する回答数は264人,したがって,回答率は,264/883=0.30となった.すなわち30%という予想以上の回収率であり,また同時に関心の高さも感じた.
 反応:アンケートにもいろいろな意見が述べられており,またアンケート発送直後に開かれた天文学会1992年秋季年会でも多数の方々から数々の意見をいただいた.全体的には,非常に面白い研究であり是非結果が知りたい,という肯定的な意見が圧倒的だった.ただし,このような調査には協力できないとか,調査そのものが意味がないという否定的な意見も,計3件あった.また(回答は寄せられたが)公表は困るというものも,3件あった.なお,これはあくまでも表に出てきた割合であり,無回答(すなわち,無関心な人,忙しくて忘れた人,否定的な人)の7割を含めた全体での割合がどうかは不明である.
2.2 調査方法に関する議論
 具体的な結果に移る前に,アンケートの内容や調査方法に関する問題点を少し議論しておきたい.
 問題点(論点)は3つある.すなわち,@アンケートの設問上の不備,A師匠・弟子の定義,そしてBこのような調査自体の意義である.
 最初に,設問が不備だった点として,(回答者の)兄弟弟子についてもわかる範囲で記入してもらったのだが,“回答者本人の”と明記しなかったために,“師匠の”兄弟弟子を書いた人が結構いた.こちらで判断したが,設問が不適切だった.
 2番目に,一番議論が多かったのが,“師匠”あるいは“弟子”の意味する点である.よく研究者仲間の日常会話では,「Aの師匠はBだ」とか「CはDの弟子だ」というような言い回しをすることがあり,ここでの“師匠”,“弟子”という呼び方もその程度のニュアンスだったのだが,いざ正面きって問われると戸惑う人も少なくなかったようである.その原因の一つとして,たとえば師匠といっても,修論の指導教官,博士論文の指導教官,共同研究者,グループ研究のリーダー,(心の中で秘かに)私淑している人,などなど,複数存在している場合があるためだ.これらのことは,アンケート発送前の研究室のゼミでも議論になった点だが,あえて,師匠は一人と限ったのは,系図をできるだけ込み入らせないためである(選択肢を増やすと,こちら側の物理的なデータ処理能力を超えてしまう,というのも理由の一つであった).また指導教官は形式的な場合もあるし,修士と博士で違うこともあるので,“師匠”を“指導教官”とするわけにもいかなかった.そこで定義せずに“師匠”という言葉を使ったのだが,“師匠”とは<もっとも影響を受けた人>,“弟子”とは<もっとも影響を与えた人>,ぐらいの定義はしておくべきだったかもしれない.
 3番目に,このような調査研究の意義について.先にも述べたように,回答を寄せられた方の中では,このような調査研究に対して否定的な意見が3件あった.具体的には,このような研究は前近代的な派閥を作りだし有害であるという意見,また門閥相関図をつくる覗き見趣味的なものだという意見,そしてこんな無意味な研究はやめなさいという意見である.これらは当然ありうる意見であり,以下,簡単に回答しておきたい.
 まず派閥/門閥についてだが,研究者の仲間内では,誰がどこの出身かというのは周知のことだし,系図があろうとなかろうと,派閥は形成でき,派閥人事も行われている可能性がある.系図がそれほど影響を持つとは思えないが,もし影響があるなら,それはそれで面白い.ま,これは(研究者)社会の成熟度の問題だと思う.
 またたんなる覗き見趣味的な調査だという意見だが,これ,否定しない.最初に述べた動機や,後述する具体的目標はもちろん設定したが,系図を漫然と眺めるのも,週刊誌のスター相愛図みたいで,結構楽しい(その意味では,師匠を複数並べてもらった方が,もっと楽しい系図になったと思う).こう書くと,絶対カチンとくる人いると思うけど,まあ,人間ってそんなものだという気もするのだが.
 最後に,こんな調査にそもそも意味があるのか?という点だが,興味を持ったこと/好奇心を抱いた問題を調べようとするのは,これは,研究の原点だろう.さらにどれだけ多くの人がその結果に興味を持つかで,その研究の価値が決まる.その意味で,まだ何の結果も出ていない秋季年会で反響が大きかったため,むしろ戸惑ったくらいである(じゃあ,それほど反響を呼ばない普段の研究って,いったい・・・と,ちびまる子ちゃん風にモノローグしてしまうよね).もちろんそれでも無意味だという人はいるし,そうなると結局は価値観の相違としか言えないかも.

3. 系図

 以上のような論点をすべて含めた上で作成した系図(のダイジェスト版)については,相模原で開催された1993年度春季年会で報告した(ポスター#32).筆者の関係したポスター発表で,あんな黒山の人だかりができたのは初めてだった.人間って,こんな話がほんっとに好きなんですネ.
 具体的な系図を見た方がインパクトも説得性もあるし,ここでも順序としては系図を紹介するところで,実際,最初の原稿ではそうしていた.しかしながら,(偉い先生や鬼籍に入られた方は別として),実名が公表されるのは,名前の出た人,出なかった人に対して,予見できない迷惑がかかる可能性がある(と編集部から指摘された).ま,確かに編集部の心配は理解できないこともない.また系図自体がまだ不完全である.というわけで,(一応,春季年会で紹介したことでもあるし),ここではとりあえず具体的な系図の紹介は差し控えることにした.
 なお,系図そのものについて,現世人に迷惑かどうかは別に,100年後には(科学史的に)重要な価値を生むという意見もいただいており,暇と金があれば,完全なものに近づけていきたいと考えている(乞わず,ご期待).

4. 整約

 このような調査研究の目的は,アンケートでも触れたように,研究の流れを調べるなど,さまざまなものが考えられるが,時間的・物理的制約のために目標を絞り込むことにした.
 最初に設定した目的は3つある.すなわち@弟子の平均人数はどれくらいか,また世代を経るごとに子孫の増えていく割合はどれくらいか.A研究者が弟子を養成するピーク年齢はあるか,あれば,何歳か.そして可能ならばB研究の流れが少しは掴めるか.である.
4.0 学派
 できあがった系図をもとに,最初にすべきことは,学派(スクール)についての定量的な解析だろう.実際,研究分野まで書き込んだ完全版の系図を見ると,師弟の間では研究分野もかなり引き継がれていることがわかる.しかしながら,学派の定義がやはり難しく,さらに定量的な解析となると,(時間方向まで含んだ)銀河の分布のパターン解析みたいで,有効な指標が思いつかない.今回は定性的な議論に限ることにした(5節).
4.1 弟子の人数分布
 得られたデータから作成した「弟子の人数分布」を図2に示す(サンプリングは特別会員のみ).すなわち図2の横軸は弟子の人数mで,縦軸はm人の弟子を持った研究者の数Nである.


図2 弟子の人数分布

 まず図2からわかるように,たくさんの弟子を持つ研究者の数は急激に減少する.実際,m=0を除いて,べき関数でフィッティングしてみたところ(図2の曲線),

     =63.6-1.65
で近似できることがわかった.星の質量分布みたいだ.
 また弟子の人数の単純平均は1人程度なのだが,系図の末端(若い人)では弟子の数は当然0となるのでm=0は除くべきだろう.すなわち1人以上の弟子を持っている人の中で平均すると,
     弟子の平均人数=3.3人
となった.したがって若干強引ではあるが,
     弟子は拡大再生産する
と結論していいかと思う.子孫繁栄である.なお多産系(弟子が多い学派)では,その孫弟子,ひまご弟子も多いようだ.
 特別に多産系の人や子ども(弟子)を持たない主義の人は別にして,一般の研究者の場合は,3人以上の弟子を育てればまあ人並と言えそうだ.
4.2 師弟の年齢差分布
 研究者の活動年齢/活動性を測る目安としては,たとえば,論文生産量,研究会などへの参加率,研究費の獲得度,などなど,いろいろ考えられる.今回の調査でもくろんでいたことの一つが,弟子の育成という面から,研究者の活動年齢が浮かび上がってこないだろうか,ということだった.


図3 師弟の年齢差の分布

 そういう意味で作成した「師弟の年齢差の分布」を図3に示す.すなわち図3の横軸は師匠と弟子の年齢差で(ただし若手の会の名簿の学年から推定しているものもあるので,±数年の誤差を持つデータも含まれている),縦軸はその年齢差を持つ師弟の頻度である.
 まず簡単な計算から,

     年齢差の平均年数=20.1年
     年齢差の標準偏差=7.89年
が得られる.図3の曲線は同じ平均と偏差を持つ正規分布である.合っているようないないような感じなので,一応,正規性の検定をしてみた.まず左右対称性をみるために,3次のモーメントである歪度(skewness)を求めてみると,+0.18となり,正規分布(0になる)より若干右に裾を引いているが,左右非対称というほどでもない.また釣鐘的かどうかをみるために,4次のモーメントである尖度(kurtosis)を求めてみると,+2.15となり,正規分布(3になる)より若干矩形的である.図3の分布が2山なのではないかという意見もあったが,そこまで言い切るのは難しいと思う.まあ年齢差の分布はおおむね正規分布的だと見なした方が無難だろう.
 さてここで,大学院に入ったときに師弟関係が生じると仮定する.もちろんそうでない場合もあるだろうが,現状では,師弟関係は主として大学院で発生すると思われるので,それほど悪い近似ではないだろう.また大学院に入ったときの弟子の年齢を22歳とする(ストレートでない場合もあるので+αの誤差を含む).そうすると,年齢差の分布から,またまた若干強引ではあるが,弟子を養成するという観点からみた
     研究者の活動年齢は42歳±8歳
である,と結論していいかと思う.

5. 議論

 最後に,アンケートの回答や作成した系図などを見て気づいた点をいくつか議論したい.
5.1 親はなくとも子は育つ
 まず師匠が存在しない場合がある.これは師匠が複数いて特定できないという意味ではなく,実際に師匠を持たなかったケースを指す.たとえば一昔前の,いわゆる偉い先生の背中をみて育った世代でそういう例が結構あるようだ.しかし優秀な人は一人でも育つかも知れないが,脱落してしまう人もいるだろう.とくに現在のように研究者が職業化している時代には,後継者をシステマティックに育成していくことも大事である.
 また野辺山に代表されるようなビッグサイエンスの現場でも,研究グループの中で揉まれて育った結果,やはり師匠らしい師匠が見あたらない場合があるようだ.教育システムまで含めてグループとして研究体制がしっかり確立している場合には,有能な研究者がどんどん育っていくだろうが,十分気をつけておかないと,いわゆる集団責任は無責任というやつで,一種類のデータ解析しかできない消耗部品の量産となってしまう危険がある.
5.2 研究の流れ;スペキュレーション
 アンケートにも書いたように,最初の目的の一つは,天文学者の系図を調査することにより,できれば日本の現代天文学の研究の流れが浮かび上がってこないか,というものだった.時間的な制限などもあり,研究分野の調査などが不十分なので,きちんとした解析ではないのだが,最後に,系図から受けた印象について少し述べておきたい.
 まず筆者の一人(JF)の専門分野である,「理論天文学」に注目してみると,系図では2つの大きな流れがあることが見てとれた.1つは,萩原雄祐から始まり,海野和三郎以下へと続く流れで,多くの後継者が育っている.分野については星から銀河まで多種多様だ.一方,研究者のタイプとしてみると,萩原については会う機会がなかったので知らないが,加藤正二およびその同世代の研究者たちは,比較的きめの細かい丁寧な指導をする人たちが多いような気がする.
 もう一つは,冒頭でも出てきた,いわゆる林学派である.系図では,林忠四郎の師は湯川秀樹だが,天体(核)物理学を拓いたのは林なので,林学派と呼んでいいだろう.やはり分野は多岐に及んでいる.研究者のタイプとしては,林自身については直接知らないが,弟子や孫弟子の研究者をみると,アグレッシブで厳しいスタイルの研究者が多いように感じる.(やさしいのと厳しいのと,弟子の立場ではどちらがいいかは一慨には言えない.やさしいだけでは逞しい研究者にならないし,厳しすぎてもフォローがなければ自信喪失するから.相性もあるしね).
 理論天文学の流れには,他にもいろいろあるが,その中でも,本来もっと大きな流れになってしかるべきだった(と思われる)のが,荒木俊馬→宮本正太郎と続く流れである.この系統が大河にならなかった理由は,蛇の道ではよく知られているようだが,筆者ではどうしても角のたつ書き方になるので,いずれまとめてネ,柴田(一成)さん.
 さてつぎに,観測天文学の分野だが,まず目につくのは,「電波天文学」の広がりである.挙げていくときりがないので,名前はとくに挙げないが,日本の電波天文学を現在支えている人たちの多くが,畑中武夫の流れにあるようだ.いや,新発見をした気になっていたら,日本の電波天文学の祖が畑中だというのは,一般常識らしい.もちろん,上でも述べたように,電波天文学はすでにビッグサイエンスと化しており,最近では師弟関係を辿ることは難しくなっている.
 また「X線天文学」の広がりも大きい.系図からも明瞭に見てとれるように,早川幸男と小田稔の両巨頭によって率いられてきた日本のX線天文学は,世界の流れにそれほど遅れを取らずに急激に成長を遂げ,はくちょう・てんま・ぎんがの3姉妹−あすかを加えて4姉妹−に代表されるように,着実な成果を挙げてきた.現在では次世代のリーダーも育っており,ハード(観測機器)/ソフト(人材)ともに充実しているといえよう.
 と,ここまできて気づいた人もいるだろう.そう,見えないのである.伝統的な天文学の分野である「光学天文学」に関しては,大きな流れが浮かんでこないのだ.光の分野では,日本の天文学は(天文先進国の中では)現在最低のレベルだと,筆者は思っている(これについては異論のある人も少なくないかもしれないが).もちろん,優れた光学望遠鏡がなかったとか,基礎科学に対する国の政策が貧困だったとか,いろいろ理由もあるだろうが,“後継者を育成する努力を怠ってきた?”ということも,光の分野で天文後進国となった,一つの(大きな)理由ではないだろうか.
 研究グループのリーダーとなり大きなプロジェクトを率いていくためには,研究者として有能でなければならないのはもちろんだが,同時に,研究の先行きを見抜く力,若い人を育て鍛える能力(努力),そしてある種のカリスマ性−人間的な魅力−などが必要である.したがって誰でもリーダーとなれるわけではない.そのような強力なリーダーが不在だったのが,光学天文学の不幸だったのかもしれない.
 すばる望遠鏡によって近い将来ハード面では状況は改善されるはずである.しかしソフト面に対してもしっかりした手当をしなければ,ビッグサイエンスの中で研究者(の卵)は使い捨てられ,10年先20年先にはハードの抜け殻だけ残るということになりかねない.以上の点を,現在の中核である30代,40代の研究者は肝に銘じておいて欲しい.また次世代のリーダーとなるべき若手も,さらに後に続くもののことを配慮していって欲しい(すばるのつぎを目指して!).
 光学天文学の分野でも(日本が)世界のトップレベルに立ち,さらにそれを維持して欲しいと,日々歯噛みする思いでいるものたちの,切実なる願いである.

謝辞:そもそものきっかけは,青函連絡船内での川口市郎氏の言葉です.アンケート作成などでは,横尾武夫氏をはじめ研究室の学生諸君が有益な意見をくれました.アンケート発送にあたっては,天文学会の事務局に特別会員の最新住所のプリントアウトを送っていただきました.月報編集部の佐藤修二氏,半田利弘氏,梅村雅之氏,林左絵子さんにも相模原などでいろいろ議論してもらいました.また花輪知幸氏は貴重な意見を述べてくれました.この場を借りて皆さんに感謝します.さらに,もちろん,厚かましいアンケートだったにもかかわらず快く返送していただいた回答者の皆さんには深く感謝いたします.なお,結果がまとまったら,(卒論の)コピーを送って欲しいという方が多数おられたのですが,以上の報告で,それに代えさせていただければと思います.

参考文献
林忠四郎「星の進化をめぐる研究遍歴」自然1980年,8月号,26頁.


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