スペ博ミーティング3@京都 門(2001/07/30)

ASFブランド『宇宙スペクトル博物館<可視光編>』制作も大詰めを迎えてきた. 説明文や細かい部分はまだ途中だが, 全体のコンテンツが大体できあがり, 組み込みも8割から9割方終わってきたので, 第3回かつ最終のミーティングを京都で行った. 当初は交通の便がいい京都駅付近で会合をしたかったのだが, 想定していた場所が都合がつかなかったので, 京大の近くの居酒屋<門>で座敷を借りることにした. すっごい暑い日だったし, ミーティングの後で場所を移動する必要もなかったので, かえって楽だったかもしれない. 参加者は, 粟野諭美(岡山天文博物館), 加藤賢一(大阪市立科学館), 國分利幸(裳華房), 坂元 誠(西はりま天文台), 田島由起子(サイエンスデザイナー), 福江 純(大阪教育大学)の総勢6人+ゲスト 有本淳一&株本訓久. 以下は,そのときの史実の一部である.
昼間の部は,やはり1時から6時前まで, 各自持参のノートパソコンで演示しながら, コンテンツについて報告と議論. 間に小休止は取ったが, 4,5時間もぶっ続けで議論すると, さすがに最後あたりはへばってくる. 議論するのに夢中で写真はあまり撮っていないが, これは身のまわりの世界の生物関係の素材について, 國分さんと田島くんが議論しているところ.
ノートパソコンの画面をみると, 太陽系のセクションについて検討しているときだろう. でも,テーブルの上には, ノートパソコンやらMOやらの機器が散らばっているのだが, 周囲はどうみても居酒屋の宴会部屋で, お茶の湯のみもあったりして, なかなかミスマッチだったりする.
やっと終わった! この一ヶ月, ミーティングの後の飲み会だけを目的に仕事してきたようなもんだ. あ,いやいや,スペ博は, 天文教育用のマルチメディアコンテンツという, 非常に重要で気高い目的はあるし, コンテンツ作成自体も楽しいんだけど, 夢だけでは生きれないんだよねぇ,人間って. もちろんパンだけでも生きれない (というか生きるために生きるだけになる)わけで, 要は,夢とパンのバランスが大事だろう. そういう意味でも,一仕事の後のビールは格別に美味しい.

ちなみに門は料理もいけてて, 田島くんが食べようとしているのは名物の<海老茶蕎麦巻き揚げ>.

門はお酒(日本酒)の種類も豊富. 隠れスタッフの國分さんが注いでいるのも, 名前は忘れたが何とか言う大吟醸. 本来は係りの人が注いでくれるのだが, 残りが少なくなって一杯分に足らないということで, 残りを一升瓶ごと置いていってくれたものだ. でも,グイ飲みに注いでみたらほとんど一杯分あって, ほんとに嬉しそうな國分さん.
何故か飲み会に合わせて有本くん登場. 10年前はすらっとした好青年っぽかったんだが….
1次会はお開きということで,お約束のハイピース(死語).
門の看板ぐらいまで呑んで, 9時半ごろ百万辺近辺で解散. ぼくの心積もりでは日帰りの人も多いので, ここでほんとに解散の予定だったのだが (だから門までもチャリで行ったのだけど),まだまだ甘かった.
日帰りはきついので今夜は京都に宿を取ったという粟野監督, 夜行バスで東京に帰るがまだ少し時間があるという國分さん, そして京都在住の有本・福江の4人は, タクシーで有本くん御用達のパブへ移動し2次会に突入 (ぼくのチャリは百万辺で不法駐輪状態で路上放棄). 2次会からは株本くんと途中抜けていた坂元くんも復帰し, ここに“西の京三悪人”(by Prof. Yokoo)の有本・株本・坂元が勢揃いする. こうなったら天下無敵モード. 國分さんを見送った後も, パブの看板の12時まで2次会が続いた. それで終わりかと思ったらまだまだ甘い.
さらに4条から3条まで歩かされて,3条先斗町付近で, またまた有本くん御用達のバーへなだれ込み3次会へ. このバーのマスターは,元はしだのりひことクライマックスのメンバーだった人で, 中学校ぐらいにフォークの洗礼を受けたぼくぐらいの年代にとっては, なかなか興味深いバーだと思う. でも,いつも酔っぱらってから連れてこられるので, 場所はともかく名前を思い出せない. このバーでも看板(?)の3時過ぎまで楽しんだが, うーん,最初から数えると10時間ぐらい呑んできた計算になる. ぼくは次の日(というか当日は),昼過ぎまで起きれなかったし, 一日中,またまた二日酔いだったが, みんなは朝方1,2時間寝ただけで仕事に行ったようだ. いやぁ,若い若い.