京都賞
授賞式@国立京都国際会館&
晩餐会@宝ヶ池プリンスホテル
(2011/11/10)

第27回京都賞である。 受賞者の発表があり招待状が届いたのが7月で、 まだまだ先の話だと思っていたら、あっと言う間に当日だった。

京都賞は稲盛財団が出している国際的な賞で、 先端技術部門、基礎科学部門、思想・芸術部門の3つの部門で、 過去にすぐれた業績を上げた人が毎年各部門(たいていは)一人ずつ受賞するものだ。 日本のノーベル賞をめざしていて、賞金もノーベル賞より高い設定だったはずである。 実際、この27年間の受賞者をみると、たしかにノーベル賞クラスで、 しかもノーベル賞が与えられない分野の受賞者も多く、意義があると思う。 たとえば、情報科学者のシャノン、映画監督アンジェイ・ワイダ、 言語学者チョムスキー、気象学者ローレンツ、数学者アンドレ・ヴェイユ、 映画監督黒澤明、情報科学者クヌース、進化生物学者メイナード=スミス、 デザイナー三宅一生、医学者山中伸弥などなど、 ぼくでも名前ぐらい知っている著名人が受けている。 (ちなみに、ノーベル賞には数学や芸術部門はない)

3部門のうち、基礎科学部門はさらに、 生物科学、数理科学、地球科学・宇宙科学、生命科学の4分野にわかれていて、 毎年各分野で受賞者を決めることになっている。 そして、今年度は地球科学・宇宙科学の分野が授賞対象分野なわけだ。 天文の分野としては、原則的に、8年に一人の受賞者が出ることになり、 第3回(1987年)銀河物理学のヤン・ヘンドリック・オールト、 第11回(1995年)星の進化および太陽系形成の林忠四郎、 第19回(2003年)太陽風と宇宙電磁場の権威ユージン・ニューマン・パーカーが 受賞した。 そして今年はなんと、降着円盤理論の提唱者でもある、 ラシッド・アリエヴィッチ・スニアエフが受賞したのだ (他の受賞者は、先端技術部門でアロイ工学のジョン・ワーナー・カーン、 思想・芸術部門が坂東玉三郎)。 贈賞理由は、 宇宙背景放射ゆらぎ理論と高エネルギー天文学への貢献 というものである。

授賞イベントは3日間にわたり開催され、 初日は授賞式と晩餐会、2日目は受賞者の記念講演会、そして3日目は 各部門に分かれてのワークショップとなっている。 今年は天文関係者の授賞ということで、授賞式の日から参加することになった。 8年前のパーカーのときには、昼間に大学で外せない用事があって、 タクシーで晩餐会だけに駆けつけて、 京大の柴田さんに「なんや、飯だけ食いにきたんか」 と身も蓋もなく言われてしまったが、今年はちゃんと授賞式から出席した(笑)。 また前回の経験から、末席の方で雛壇がめちゃ遠いのもわかっていたので、 今回は300mm望遠を持参するという準備万端状態である。

直通道

まず驚いたのが、地下鉄の駅から国際会館間際まで、 直通の地下道ができていたことだ。 以前は吹きっさらしの道路を歩いた覚えがあるので、 これは便利になったと思った。 これは地下道から地上に上がったところで、 川を渡れば国際会館である。 そうか、川があるから、完全に直通はできなかったのか。

久しぶりの国際会館

前回はいつだったか忘れたが、久しぶりの国際会館である。

日本庭園

国際会館の庭もずいぶんと綺麗になった感じがする。 開会の1時間ぐらい前に着いたので、まだ人は少ない。

望遠の威力1

通常のデジカメで撮影した上の写真で、 中央右にある生け垣(ほとんどわからない)が、 100mmの望遠でこれぐらい。

望遠の威力2

さらに300mmの望遠だとここまで拡大できる。 人物もくっきりと写っているし、 望遠レンズって、使い方によっては、 結構ヤバイのがよくわかる。

キングジョーの舞台

庭側から国際会館を眺めたところ。 『ウルトラセブン』の第14話・第15話「ウルトラ警備隊西へ(前後編)」で、 キングジョーとウルトラセブンが闘った舞台なんだな、ここが。 1968年だから、ぼくが小六のときだが、 リアルタイムで見ていたなんて人、少ないだろうなぁ(笑)。

宝ヶ池

庭園の外れは宝ヶ池の借景に繋がっている。 ここまで来たのは始めてかも知れない。

大会議場

開会直前の授賞式会場。 もちろん、後方の末席で、舞台まではメチャ遠い。 全体では1000人以上のオーダーかなぁ。 もちろん各界のお偉方が多いわけだが、 天文関係者が予想外に少ないのは、ちょっと残念だった。

3時の開会直後は、 京都市交響楽団による序奏があって、 つづいて奉祝能があった。能なんてみるの滅多にないことだ。 ちょっと遠慮して写真は撮っていないけど。

ラシッド・スニアエフ

舞台左側の受賞者席に座っているスニアエフ。 写真撮影はあまりよろしくないけど、 ストロボはたかずに遠慮しながら撮影。 でも光ってましたよ>Y浅さん(笑)

メダル授与式

スニアエフの受賞理由は、専門的には、
密度ゆらぎの宇宙背景放射への刻印の予測(1970年)
銀河団のスニアエフ=ゼルドヴィッチ効果の予測(1972年)
標準降着円盤モデルの構築(1973年)
などだ。 前2者は指導教官のゼルドヴィッチとの共同研究、 3つ目はシャクラとの共同研究である。 BAOの予測もしていたのは、あまりよく知らなかった。 でも、1943年生まれということだったから、 密度ゆらぎの予測は27歳、SSモデルも30歳のときかぁ、さすが、スゴイなぁ。

受賞者挨拶

メダルの授与式が3時45分ぐらいだったので、後、 1時間も何があるんだろうと思ったらば。 贈賞理由の説明と受賞者のスピーチに、 そこそこ時間を割いてあった。
もちろんスニアエフはロシア人らしく、目一杯巻き舌の英語である。 内容を知っているためもあろうが、巻き舌に気を付けていれば、 聞き取りやすい英語だった。

受賞者挨拶

しかし、ぼくが(板東)玉三郎にまったく関心がない以上に、 会場の大多数は、カーンもスニアエフもまったくわからんかったろうなぁ。 カーンの方はまだ身の回りの材料の話というのはわかったろうけど、 スニアエフの挨拶の宇宙背景放射のゆらぎに至っては、 話しについて行けたのは10人ぐらいだろう。
もっとも、興味深かったのは、 祝辞のうち、野田総理は3人への祝辞だったが、 ロシアの大統領とドイツの大統領はスニアエフへの祝辞、 アメリカの大統領はカーンへの祝辞だったことだ。 ドイツ大統領がなぜスニアエフ?

受賞讃歌

京都聖母学院小学校合唱団による讃歌である。 子どもを使う演出は多少アコギではあるけど、 スピーチが続いて疲れたところでもあり、 非常に気持ちがよかった。
この後に、やっぱりラストはクラシックで締めだった。 クラシックなんて聞いたことがないが、 演奏終了後にはやっぱり指揮者はコンマス(たぶん)と 握手するんだなぁ(←のだめ知識)。
授賞式は予定より延びて、2時間ぐらいになった。 きっと途中で退屈すると思って論文をもっていたが (だいたい暗くて読めない;笑)、 予想外に退屈しない式典だった。

アペリティフ

道路を隔てたプリンスホテルに場所を移し、お楽しみ(笑)の晩餐会だ。 いやぁ、最近はタダメシ・タダザケって、めったにないので、嬉しい。 まずは食前酒で軽くノドを潤す。

撮りっこ

ちょうど近畿大学の湯浅さんと出くわしたので、お互いに撮りっこした。 でも、湯浅さん、ピント甘いですよ。 天文関係者やっぱり少ないなぁ。 京都賞の審査委員で参加していた人 (佐藤文隆さん、小山勝二さん、佐藤勝彦さん、佐々木節さん)以外だと、 ここまでに、湯浅さん、京大の嶺重慎さん、田中貴浩さん、 JAXAの井上一さんぐらいしか気づかなかった。

晩餐会会場

まだ開宴前で、空席も目立つ。 結婚式などと同じで、席はちゃんと決まっている。 晩餐会でももちろん末席なので雛壇は遠い(笑)。 テーブルの数と各テーブルの人数から、 やはり全体で1000人ぐらいの規模である。

手打ちの儀

稲盛理事長の挨拶と井村会長の乾杯に続いて、 祇園芸妓による手打ちの儀があった。 なかなかこんなのも目にする機会はない。

メニュー

写した当人も、よくわからん(笑)。 でも、シャンパンは美味しくて、 (結婚式とかだとあまりお代わりはできないが)、 何杯もお代わりした(嬉)。

メイン

メインの魚料理の方。これは美味だった。 メインの肉料理は泣く泣くパス。 隣席の72歳のお姉さん、美味しそうに食べてたけど。

盗撮?(笑)

雛壇に座っている間は、遠さよりも、人の頭に隠れて、写せなかった。 宴もたけなわになったころに、あちこちのテーブルを回り始めたので、 ようやくショットできた。 話しているのは田中靖郎さんかなぁ。

日本舞踊

宴の締めは、祇園芸妓による日本舞踊“蓬莱”だった。 あまりよくわからんが、珍しいものをみることができた。

晩餐会だけ参加!

“飯だけ食いにきた”京大の柴田さん。 8年前は末席で一緒だったけど、 今回は審査委員におなりになられて上席でした(笑)。

閉宴

ちょうど2時間ほどで晩餐会は終了した。 スニアエフら、受賞者が退出するところ。

ラッキー^3

標準降着円盤モデルを構築した一人、 シャクラ=スニアエフのシャクラである。 今回の京都賞に来日するのは知っていて、 土曜のワークショップで会えればいいなあと思っていた。 晩餐会の後で少し会場をうろついていたら、 どうもシャクラっぽいロシア人がいたので、 “エクスキューズミー、もしかしてシャクラ教授じゃないですか”、 というようなことを言ったら、イエスというので、やったぁ状態。
自己紹介したら、“あー、カトーの”と、 加藤先生と嶺重さんと書いた、 Black-Hole Accretion Disksで名前を知っていてくれた。 こっちも、あなたに会えてとても嬉しい、 という内容のことを英語で言ったけど、 えんたにええてとてもえれしい、という感じになっただろう。 とにかく、気持ちは通じたみたいで(笑)、初ツーショット。 (スニアエフとは、以前、すざく国際会議でツーショットした)

アフタディナー

晩餐会の後は、10時まで、アフタディナーということで、 音楽やダンスを楽しむ趣向である。 ちょっと一杯呑みながら、30分ほど覗いてから、会場を後にした。