Princeton Diary 2


At the front of the Institute

9月24日(火) 高等研(インスチチュート)

4:00 に目が覚めてしまう.
 たんに時差のゆり戻しのようなものであり, 決して昨夜の出来事で興奮していたわけではない,と思う.
 今日はハードな日になるはずなので, もう一眠りしようと2時間ほど頑張ったが寝付けず, あきらめて6時すぎに起き出す, というか寝転がって入力モードに入る.

11時前 プリンストン高等研究所へ.
 9:30頃に研究室へ行き,国際電話を経験する. といっても,なんのことはない直通なので,押す数字が多いだけ. そして11時前に近くのプリンストン高等研究所へ向かう.

 …U氏の運転する車は, 大学の東の端に位置するPeyton Hallを出ると, まずWashington Roadを少し下り, 右折してFaculty Roadに入り敷地の南の縁を西に進んで, そのまま大学の敷地を出ると, 緑に囲まれた道を一路,Instituteへと向かった (という書き出しをM氏から指示された)


The main building of the Institute

The building of the astronomy section

The garden of the Institute

プリンストン高等研究所(Institute for Advanced Study) −たんにInstituteと呼ばれる−は, プリンストン大学の近くにある研究機関だが, 大学とはまったく別の組織である. ナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命したアインシュタイン が終生過ごした場所だ (エド・レジス『アインシュタインの部屋』がいいガイドブック).
 数学や理論物理学など(基本的には理論的研究を行う) さまざまな分野の研究者や多くの滞在者がいる. 理論天文学のグループもあって,火曜日(つまり今日)は, Peyton HallのスタッフがInstituteに出かけ,合同のゼミを行ったり, 昼時には軽食を取りながら活発な議論を闘わせる (Tuesday lunchと呼ばれる)のが恒例になっているのだ.

Peyton HallからInstituteまでは車で10分ほどで, ほどなくInstituteへ到着した.
 Instituteは予想外の印象だった.
 つまり,“研究所”という言葉の響きから, 何となく殺風景な建物のような感じを持っていたのだが. 駐車場で車を降りたぼくたちの目の前には, 緑の絨毯が広がり,そして 木立の中にたたずむ煉瓦造りの古風な建物群. それがInstituteだった.

まず同じ分野の研究をしているイーInsu Yiの部屋に顔を出して, 最近の自分たちの成果を交換し合う. また偶然ではあるが, ハーバード大学(の天体物理学センターに所属する) ナラヤンRamesh Narayanも来ている. NarayanとYiは共同研究者で, Narayanは飛行機で1時間ほどの距離にあるハーバードから ちょくちょくInstituteへ来て滞在しているらしい. 昨年の秋に京都で降着円盤の国際会議を開催したときに, 2人とも参加していた. U氏やM氏とはよく知っているが, ぼくの名前も(かろうじて?)思い出してくれたのはありがたい.

11:00 コロキウム開始.
 たまたま本日のスピーカーはNarayanだ. 分野は同じだし,OHPはあるし,さらに 彼はインド出身で英語は比較的わかりやすいので, なんとかぼくも話についていけた.
 #国際会議では,濃い一週間だったが, ここではそれがごく日常的なことなのである. しかも日本だと,Narayanのような大家がしゃべると, 割とみな静かに拝聴していることが多いが, プリンストンでは話の腰をバンバン折って質問が飛び交う. 研究者だけでなく,学生も次々と質問する. しょーもない質問でも平気でする. なかなか見習うのは勇気がいる.

12:30 Tuesday Lunch Seminar.
 Instituteの建物の一つには,研究者や職員が昼食などをとる かなり広いカフェテリアがある. そのカフェテリアのすぐそばに, コの字型に机が並べられたかなり広い会議室のような部屋があり, Tuesday Lunch Seminarはそこで行われる. 通常はコの字の真ん中にTuesday Lunchをしきる バーコールJohn N. Bahcallが陣取り, しょーもない報告をするとめちゃ厳しく突っ込まれるそうだ. 今回はたまたまバーコールが留守で (代わりにパチンスキーが座長を務めていた), また年度始めだったこともあり,そのような光景は見られなかった.
 #でも,おるわおるわ大物パート2状態. タイソンJ. A. Tysonにバーコール(夫人)Neta Bahcall,そして極めつけは 名誉教授のシュピツァーLyman Spitzer, Jr. なかなか壮観だった. いや,もう一人,90を超えたようなお爺さんがいる. どうみてもホイーラーJohn A. Wheelerに似ている (後日,実際にそうだったことがわかった). そう,あのホイーラーだ, ブラックホールの名付け親のホイーラーだ. ブラボー!

13:30 Narayanとの議論.
 Lunchが終わり三々五々敷地内を帰りながら, アインシュタインの部屋のあった本館の前で, Narayanと立ち話になり,本館の見学は後回しにして, そのまま彼の部屋に行って議論に入る.
 結構マジメ(←アタリマエ?).
この分野の専門家であるNarayanに説明できたのは, 大変ラッキーなことだった. 実際,とても関心をもってくれたようだ.
 とゆうても,説明するのはU氏とM氏で, ぼくはとーぜん竜介モードだが.


with Einstein

アインシュタインの部屋.
 Narayanとの議論を終え,ほんの少しだけ,Instituteの本館を見学する. みなが知っているハットPiet Hutがあいにく留守で, アインシュタインの部屋はわからなかったが, いや, もうほんと, 高等研を見れただけで来た甲斐があったというものである. University Storeに寄り道してPeyton Hallへ戻る.

4:00 パチンスキーと議論.
 戻るとすぐに,すでにアポを取ってあったパチンスキーと議論に入る. われわれの研究の話をし,さらに彼が現在マネージメントしている 重力レンズ効果によるMACHO探しへ話が進んで,6時前まで話していた.
 現在われわれが行っている研究は, ブラックホールなどのまわりに形成されたガスの円盤(降着円盤と呼ばれる) に関係したものだ. そして,M氏やTくんは,今回の研究プロジェクトの一環として, 降着円盤を形成するガス自体の重力(自己重力と呼ぶ)の影響を調べており, またぼく自身も数年前に自己重力降着円盤について考察したことがある. しかしそもそも降着円盤の自己重力の効果を一番最初に検討したのが, パチンスキーなのだ.1978年代末のことである. そのことに話が及んだときパチンスキーは, (その話は私にとっては)センチメンタルだ,とかなんとか言っていた. ややもの悲しい雰囲気もあったが,一方で, 古いことや一つのことには拘らずに,興味を持ったことは何でもいい, どんどん新しい研究分野に挑戦していく, という研究スタイルが垣間見えた.

ま,とにかく予想通り,今日は全員疲労困ぱい一日だった.
 え!?  英語で何度も説明を繰り返したU氏やM氏は疲れたろうけど, お前は疲れなかったはずだ,って?  いやいや,英語を聞いたり肯いたりするだけでも疲れるんよ.

夜 ディナータイム.
 夜は,美味しい料理を求めて, 車で30分ぐらいのところにある中華レストランへ向かう. U氏の記憶があやふやで3度ほど探査ロスしたが, 最後には見つかり, 久しぶりに(こちらとしては)美味しい食事にありつけた.
 しかし,たいていのレストランではアルコールを置いていない. アルコールは持ち込みだそうだ.うーん.
 帰りにリカーショップでワインを買い, 12:00頃にカクっと寝てしまう.
 前回(今年の春),U氏とM氏とTくんの3人で来たときは, ほとんどアルコールは飲まなかったらしい.???

9月25日(水) 中日

7:30 起床.
 今日は割とすっきりした目覚め. 例によって入力モード.
 この数日,小雨模様だったが, 今日はとても天気がいい散歩日和で, M氏と散策しながらPeytonへ行くことにする. ふつうに歩けば(宿からPeytonまで)20分ぐらいらしいが, University Storeへ寄ったり ステンドグラスのきれいな教会を見学したり, 構内で戯れるリスを眺めたり, 着くまで1時間ぐらいかかっただろうか. 車はかなり走っているにもかかわらず, 空気の匂いを嗅いだら緑色だった.


Unknown clock in the Princeton University

Chapel in the Princeton University

10:30 ターナーと議論.
 Peytonに着いたらすぐに,日米共同研究の現況について, ターナー氏と2時間ほど議論する. 問題点を洗い出したりしているうちに, あっと言う間に昼過ぎになる.
 その後,Peyton Hall地階の休憩室で行われる Wednesday Lunchに, 他のスタッフや大学院生と同様, hoagieを食べながら参加するも,そうそうに切り上げる. そして13時少し過ぎから15時ぐらいまで, Tくんの論文について,全員で議論する.
 やはり進んでいると思ったのは,Wednesday Lunchの食事まで(軽食だが), 電子メールで申し込めるようになっていたことだ. ここまでくると,なんともすごいとしか言いようがない.

きょうは中日ということもあり, 帰りの切符のリコンファームをしたり(してくれたり), U氏やM氏は洗濯をしたり, まあ,研究とは少し異なる,ごく日常的なことを行った. Tくんは毎晩,宿舎のフロで洗濯しているそうだ.エライ. ぼくはと言えば,洗濯しないですむように, 着替えをたくさんもってきてたりして (もちろん着古した下着で,“十分”着た後,捨てて帰るのだ).

みなが洗濯している間, ぼくの方は,プリンストン大学前のメインストリート Nassau streetをぶらついた. 絵葉書を数枚買っただけで,後はほとんどヒヤカシて歩いただけだが (だって土産を買おうにも,ステーショナリーは重いし,服はかさばるし, 宝石はすごく高いし).

Post
Nassau Square
Nassau Square
Nassau Street

そろそろ連日の疲れも出てきたので, 今日は早めに切り上げることになり, 6時過ぎにPeytonを出て,インド料理の店に行く. なかなか美味しかった.
 そして8時過ぎには宿舎に戻る. こちらに来て以来,こんな早い時間に戻ったのははじめてだ.
 一方,Tくんは,夕食後,もう一仕事するというので, 宿舎に車で帰る途中,大学で落とした.
 “(Tくんは)よく頑張るね”
 “ぼくらも昔は(夕食後も大学に戻って)やってたよ”
 “堕落したね”
 “堕落したのかな”
 “まあいいか”
などと話しながら,しっかりリカーショップに寄って, カリフォルニアの赤を買ったりしている.
 こちらに来て以来,ワインはまったく外れ続きだったが, 今日買ったワインはまあまあ美味しかった.
 ワインを飲みながら, 某国立天文台理論部の現状とか(あ,まずいかな), 某京都大学宇宙物理学教室の現状とか(あ,ごっつ,まずいかな), プリンストンといろいろ比較しては溜息をつく. もっとも宿に帰るのが早かったせいもあり, 11時過ぎにはお開きにして,部屋に下がる. でもフロに入ったり入力してたら,結局,
12:30 就寝.
になってしまった.

9月26日(木) 宿替え

7:30 起床.
 なかなか眠いものがある. 考えてみたら,睡眠時間はずっと7時間を切っている. いや,もっと不思議なのは,食事の方だ. こっちの食事は結構ヘビーで, 胃腸が弱いぼくとしては食えるかどうかが一番の心配だったのだが, 朝食のコンチネンタルにはじまり,昼食,夕食と, 毎日3食ちゃんと食べていること.不思議だ. 夕べ飲んでいるときも,その点を指摘され, やっぱり(日本では)ストレスが大きいんだよ, という結論になったのだが. いや,もちろん(日本では)ストレスが大きいのはよくわかってんだが, 勤務先と自宅と,どっちの方がストレスが大きいんだろう?


Nassau Inn

9:30 宿をナッソーインNassau Innへ移動.
 Nassau Innは,Palmer Houseよりやや大学よりで, 表通りのNassau streetのPalmer squareにある, プリンストンのダウンタウンでは,一番いいホテルだそうだ. Palmer HouseもNassau Innも Peytonの秘書がメールしてくれたリストから選んだもの. でも,(Nassau Innの)フロントの女性はなんだか事務的な感じで, (大学の宿舎のPalmer Houseの)一見ちょっとコワメだが, 花の手入れなんかもしているきびきびしたおばさんもそれなりに懐かしい.

10:30 今後の議論.
 チェックインに手間取り,Peytonについたのは10時過ぎになった. 昨日のターナー氏との議論で出てきた問題を検討しながら, 今後なすべきことやさまざまな発展性について,議論していく.
 U氏が中心となって進めている現在の研究,すなわち, クェーサーブラックホールの形成quasar black hole formationや スターバースト=クェーサー因果関係starburst-quasar linkへの 輻射抵抗radiation dragの導入は, いわば,まったく新しいパラダイムの提唱なので, なすべきことはあまりにも多く, 気をつけないと,本質がわからなくなりそう.


Lunch scene

13:00 昼食.
 1時過ぎまで議論がかかり,昼食は,テイクアウト的な中華料理店で, 安いランチセットを取る. その後,腹ごなしにUniversity Storeから 構内を散歩して3時頃Peytonへ戻る. リスがたくさん遊んでいる.

うーん,毎日なかなか濃い状態で, さすがにオイルが切れてきたぞ.

<ニューヨーク>について
 プリンストンからニューヨークまでは,電車で約1時間,車でも約1時間半. 京都と大阪ぐらいしか離れていない,ほんの目と鼻の先だ.
 U氏はプリンストンに長期滞在したことがあり, ニューヨークは何度も行っている. Tくんは,この春にプリンストンに来たときに ちょこっと行ってきたらしい. M氏とぼくは行ったことがない.
さあそこで:
 U氏“ニューヨークどうします”
 “別にどっちでもいいよ”
 “興味ない”
 “(到着のときに)空から見たしね”
 “あぶない”
 “治安もよくないそうだしね”
 “Fさんと一緒だと変なところに連れて行かれるから,あぶないの”
 “えっ”!”
ってな会話が何度かあった.
 これ,やっぱ変ではないだろうか. すごく変だと思う. いや絶対に変だ.
 同行者の何人かはニューヨークに行ったことがあるものの, ニューヨークまで1時間の距離にいて, 誰一人行きたがらないなんて, とんでもなく変わった人間の集団だ.
 ともあれ,結局,ニューヨークも自由の女神も行かず, もっと有意義に時間を過ごすことになった.


Dinner dish

7:30 夕食.
 夕食はPrincetonian Dinerというレストラン(目いっぱいファミレス)へ. ぼくはフレンチトーストで軽く済ませるが, M氏のステーキはなかなかアメリカンサイズでビッグだった.
 食後は,U氏とTくんは大学へもう一仕事しに戻り, M氏とぼくは先にNassau Innへ帰る. 今日はとくにワインも飲まず (といいつつ,昨日飲み残したワイン −ちゃんとPalmer HouseからNassau Innへ移動していた− が邪魔になるのできれいにはしたが), いままでで一番早く,
11:00 前に就寝.

9月27日(金) 蜂のいる天国

7:30 起床.
 昨夜は久しぶりにゆっくり寝て,今日はなかなか爽快. 8時から朝食に降りて,ホテルの食堂でFrench toastを食べたけど, 昨日の夕食で食べたFrench toastよりも上品で美味.

10:00 Tくんの仕事について議論.
 Peytonに着いて電子メールを見た後, 10時ぐらいからTくんの計算結果について, 12時ぐらいまで議論.

12:00 ヘルプ.
 研究室(日本)の院生からメールが入っていた. 天文学会がもうすぐで,毎日泊り込みで計算しているのだが, プログラムがうまく動かないらしい. 研究室に国際電話を入れて,問題点を少し検討し, とりあえず,プログラムをメールで送ってもらうことにする.
 国際電話は部屋の電話から直通でかけているんだが, やっぱり後から(料金を)請求されるのかな?  ちょっと恐いな. 私用じゃないから許してね>プリンストン大学さんえ.

12:30 蜂のいる天国.
 昼食の時間になったので, このところ定番になったファーストフードのサンドイッチhoagieを買ってくる. 外があまりに爽やかなので, みんなでPeyton Hallの玄関前の芝生に座り,サンドイッチをかじる. こいつぁなかなか天国だ. でも,そのうち蜂がサンドイッチにたかってきて, 走り回りながら食う羽目になった.

13:30 ヘルプ2.
 部屋に戻ってメールを見ると, 日本からプログラムのリストが届いていたので, Tくんに頼んでプリントアウトしてもらう. プログラムはC言語で書かれているのだが, ぼくはよく知らない言語だ. ちょっと困った.うーん,どうしよう. とりあえず,しばらくプリントアウトと睨みっ子して, 怪しそうなところを適当にピックアップする. んで,メールを打とうかと思って日本につなぐと, 院生がまだ起きているようなので,も一度,国際電話 >うぁ,ごめんなさい,プリンストン大学様.

15:00 イーと議論.
 InstituteからM氏と議論しにYiが来ていて, われわれとも1時間ほど議論していく. いや,なかなかよくしゃべる.
 その後の会話(だいたいの再構成):
 “彼(Yi)のような人がまだ助手で, テニュア(終身雇用のポスト)じゃないってのが, アメリカの(天文学者)層の厚さだよね”
 “(彼ぐらいの業績があれば) 日本なら助教授でもおかしくないね”
 “そうそう,交換したいぐらいだ”
 “うん,交換したい人はいっぱいいるよ”
 “3人ぐらいまとめてトレードしてもいいくらいじゃない”
 “返品されるよ”
 #いや,これ,マジで,笑えない話なんだから.

16:00 ターナー氏と議論.
 引き続き,ターナー氏と1時間ほど議論.
 それにしても,プリンストンに来てから, いったい延べ何人の研究者と議論しただろう. もとい, いったい延べ何人の研究者との議論に同席しただろう.

6:30 夕食.
 韓国から来ているパークPark(綴り合ってるかしら)と一緒に, 彼の案内で,Good-Time Charley'sというレストランへ行く. こちらへ来てはじめてアルコールの出るレストランだ (というか,バーが一緒なので,アルコールが出てくる). このレストランになったのは,どーも,M氏がパークに, “Fはアルコールがないと駄々をこねる”とか何とか吹き込んだようだ. ただ,なかなかお値段もよろしいレストランで, ぼくたちはともかく,Tくんは少し泣きたかったかも知れない.
 料理は(ぼくは)肉がヘビーなのでエビ料理を頼んだが,これが大失敗. どうみても大嫌いなナスが山盛り入っているじゃないの.げぇ!  なんでそんなの頼んだかって?  だってshrimpしか読めなかったんだもの. しかしもうパークの前ではgood goodというしかないよね. ただ救いは,シェフお薦めのワインSundialが美味しかったこと. こちらで飲んだワインの中では一番よかった (宿への帰り道に,M氏がリカーショップで買った).

12:00 就寝.
 9時過ぎにはNassau Innへ戻り, 帰り道にM氏がリカーショップで買ったSundialを飲みながら, ごろごろして,12時頃就寝.


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