はじめに | |||||||||||||||||||||||||||
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今世紀最大のイベント(!?)、天体現象としては、
おそらく冥王星以来の大騒ぎになった皆既日食である。
あいにくと日本の大部分では部分日食だが、
トカラ列島から小笠原諸島にかけて、
日本の南海上を皆既日食帯が通過する。
はじめて皆既日食観測ツァーに参加した。
日食病に罹っていない人へ:
本ページは、事前準備の部分はツァー前に、
その後はクルーズ中にリアルタイムで書きながら、
クルーズ後に推敲や追加などをしたものだ。
ただ、ぼく自身がそうだったからわかるけど、
皆既日食だけは実体験しないとわからない。
(実際、悪天候の場所も多かったためか、
国内のメディアでも盛り上がらなかったようだし、
事前には膨大なメールが流れていた天文関係のメーリングリストでさえ、
事後に日食の話題はまったく出ていない。
おかげで、6日ぶりにネットに繋いだとき、
思ったほどメールが溜まっていなくてホッとしたのだが。)
その点を留意して読んで欲しい。
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2年間の事前準備 | |||||||||||||||||||||||||||
“福江さんも一緒に乗りませんか?” “ハイッ! 行きます!” 2年前の夏に、西はりま天文台の黒田武彦公園長から、 今回の2009年の皆既日食ツァーに誘われた。 いままで日食を見たくなかったわけじゃないが、 曇るリスクを冒して現地まで行くほどの気はなかった。 しかし、今回は少し話が違う。 何しろ黒田さんが音頭を取って豪華客船を仕立てて、 皆既日食帯の通る小笠原近海までクルーズし、 メインイベントが日食というツァーだ。 この“豪華客船クルーズ”に反応してしまったのだ(笑)。 このときから、2年間にわたるNOT団 (=日食を大いに楽しむ団; SOS団=世界を大いに盛り上げる涼宮ハルヒの団の関連組織) と黒田本舗の活動が開始された。
今回の皆既日食では、自分とツァーを盛り上げるために、
事前に黒田さんの許可も取り
(正確には、“ツァーのときにグッズを売ってもいいですか?”と聞いたら
“どうぞ何でもやってください”と言ってもらえたので何でもやった;笑)、
『黒田本舗』をツァー中の6日間期間限定で開店営業することにした。
どんなグッズがいいかとか、ぼちぼちと検討しているうちに、
あっと言う間に1年半が経ってしまい、
4月になってから、いよいよ本格的な開店準備に入った。 まず記念グッズについては、 黒田本舗専属デザイナー「かず茶」さんが描きためた絵をもとに、 絵はがきやメモ帳やクリアファイルやTシャツなどの検討をはじめた。 絵はがきについては、4月早々に行きつけの写真屋さんで見積もりを取ってもらい、 そこそこの値段で印刷できそうなことがわかる。 しかし、クリアファイルその他は、人に尋ねたりネットで調べたりするものの、 少部数だとどこも割高高額になり、ポケマネではさすがにしんどい。 もはや無理かなと諦めかけた6月下旬になって、ようやくネットで、 少部数のクリアファイルでもポケマネで許容できる価格で印刷してくれる業者を見つけ、 大急ぎで注文し、ぎりぎりで間に合った。 また同じころ、Tシャツの方も安く印刷してくれる業者が新聞広告で見つかり、 こちらも大急ぎで注文して、ぎりぎり間に合った。 メモ帳の方は、財布の限界と、おそらく物量的な限界(持参不可能だろう)から、 残念ながら見送ることにした。 またこれらの販売グッズの製作と並行して、特典グッズを検討し、 5月の連休をつぶして「太陽太陰図鑑」というものを作成した。 さらに大特典グッズとしては「ステキな本3冊セット」を用意することにした。 後者については、もともとは、クルーズに参加するはずの、 海部宣男さんとか森本雅樹おぢさんら著名人の本を3冊セットにしたら、 盛り上がって面白いだろうなぁと考えて、“ステキな”本としたけど、 さすがにそこまで根回しをする余裕はどこにもなくて、 自分の本でごまかすことにする(笑)。 それって“ステキな”本なのかっ!?、て突っ込まれると痛いけど。
最終的には、黒田本舗の日食記念グッズとして、
・絵はがき5種セットA 100セット を用意した。 その他に手作りで社員名刺やタスキも作り、 黒田本舗の開店準備が整ったのが出立の数日前である。
また、もともとは、完全にバカンスのつもりだったけど、
本業(?)がらみで、結局、できるだけ皆既日食の様子を記録することにし、
そちら関係の機材もきちんと揃えることにした。
難儀な性である。 で、最終的には、仕事用機器+日食観測用機材として、
・ノートパソコンや電源ケーブルなどアクセサリ一式 などとなった。
機材やグッズなどは部屋の隅に少しずつ積み上げていたのだが、 いつの間にか何だか怖ろしい山になっている。 実際、前々日にざっと荷造りしてみたら、 とんでもない重さ×容積になってしまった。 4人のパーティだが、手分けしても到底すべてを持参するのは無理だと判明。 高額お買い上げの場合の特典B「ステキな本3冊セット」については、 早い段階で、該当者には郵送にする予定だったが、 他のグッズも少しずつ減らすことにした。 ええーーん、完売しても元が出ないよぅ。 またふだんの出張では必ず携帯するショルダーバッグなども置いていくことにした。 夏場だったし、ふじ丸船内で洗濯もできるということで、 衣服を極度に減らせたのは幸いだったが、それでも、かなりの大荷物になった。
さて今回参加した『2009年 皆既日食クルーズ』は、
豪華客船ふじ丸−関係者間では通称「黒田丸」−で、
7月20日(月)に姫路港を出港し、
22日(水)には皆既日食帯中心線の
最大食近傍で皆既日食を観測して、
25日(土)に帰港する、5泊6日のロングクルーズである。
皆既日食はもちろんだが、こんな客船クルーズも初体験だ。 |
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7月20日(月) クルーズ第1日目 | |||||||||||||||||||||||||||
届いた日程表をみて、意外ではなかったものの、いわゆる観光旅行とは違って、 豪華客船クルーズというものは、朝から晩まで食べまくる旅行のようだ。 初日は午後からだから目立たないが、2日目からは壮絶である。 しかし、ネットでは、ふじ丸の料理はとても美味らしい。 量は食べれないだけに、質が楽しみではある。
さて、当日の朝は慌ただしい中、
大荷物を抱えて何とか姫路まで辿り着いた。
早めの昼食を取ってタクシーで姫路港の旅客船ターミナルへ向う。
おおっ! ふじ丸、でかいぞ、人、多い!!
そうこうするうちに、出港セレモニーが始まり、 乗客の多くは4階で船を取り巻くプロムナードデッキへ鈴なりになった。 埠頭では海上保安庁(?)の吹奏楽や和太鼓の演奏があったり、 乗客にはシャンパンやジュースなどが振舞われたりする。 そしてふじ丸のクルーが乗客にテープを配って回る。 そっか、テレビなどでは見たことあるけど、 大きな客船の出港のときは、ホントにテープを投げるんだ。 動き回り詰めのイキナリで草臥れたけど、面白い体験だった。
そして、まず最初の公式イベントとして、 メインホールのパシフィックホールでオリエンテーションである。 乗船者は、ツァー参加者500人+クルー130人超で、 総勢600人を大きく超えるものらしい。 日本旅行の総合案内やふじ丸の乗船案内に続いて、 日食観測アカデミック・ツーリズム・プログラムの開校式が行われた。 今回のツァーは、正式には、兵庫県立大学公開講座の一環なのだ。
そして17:30からは、ダイニングルームの「ふじ」でウェルカムパーティである。 ネットなどで紹介があったとおりに、ふじ丸の料理はたしかに美味しい。 種類も多くて、とてもすべてを味わい尽くせなかった。 さてさて、最初は大人しくしていたのだが、 呼び出しをいただいて、「黒田本舗」の宣伝に出向いて、 かなり恥ずかしい一方、とても楽しく騒乱状態になってしまう。 (ちょっと恥ずかしすぎて、写真は載せられない)
十二分にディナーを満喫した後に、部屋に戻って一休みしてから、 20:00からが最初のイベントで、世界天文年の日本委員会委員長、 元国立天文台長の海部宣男さんによるミニ講演である。 世界天文年の簡単な紹介の後に、お題は、星座と七夕のお話であった。 写真も撮影したのだが、パシフィックホールが大きすぎて 演台からの距離が遠く、残念ながらちゃんと写っていなかった。 昔の旧暦の七夕(8月)は、必ず、上弦の月だった。 というのも、七夕はそもそも七日目の夕方なわけだ。 だから、半月が沈むと真夏の星空と天の川がみえる。 つまり、月と星と天の川を楽しめたのが旧暦の七夕だったんだ。 旧暦にことなどは知っていたが、七夕の詳しい話までは、 恥ずかしいことにぼくも知らなかった。 いやいや、さすがに海部さんである。 ちょっとメインバーで一杯ひっかけているうちに、 つぎのイベントタイムの21:30になる。なかなか忙しい。 各種イベントはタイプの違うものがパラレルで複数組んであって、 ピアノ演奏の福田さんには申し訳なかったけど、 森本おぢさんの出演するサイエンストークの方に参加する。 いつも相も変わらず、の森本トークであった。 森本さんに続いて、明珍宗理さんが、自身で製作されている、 澄み切った音色のする火箸の話をされた。 5代前まではミョウチンと言えば、甲冑を作っていた家系らしい。 伝統的な技を残すために、 刀匠にのみ供給する玉鋼で火箸を作ることを考えたそうだ。 たしかに、玉鋼で製作した火箸や風鈴は、 とても高音ながらも耳に痛くない柔らかい何ともいえない音色がした。 余韻も奥深く残る素晴らしい音色だった。 また、チタンで鍛造した、ぐい飲み、も紹介された。 これまたさまざまな音色で残響がずっと残る、 心にも残るデモンストレーションだった。
今日は少し飲み足りなかったし、 小腹がすいた人のために夜食の用意もあったが、 トークの終った23:00前には体力の限界に達して、 いまからバーで呑むというおぢさんの誘いを泣く泣く振り切って、 部屋に戻った。 おぢさんたち、元気だなぁ。。。。 |
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7月21日(火) クルーズ第2日目 | |||||||||||||||||||||||||||
昨晩は興奮してなかなか寝付けず、今日は今日とて、
興奮して5:00過ぎには何となく目が覚めてしまう。
朝は6:30からモーニングコーヒーやモーニングストレッチがある。
出てる人、いるんだろうなぁ。でも、とりあえず、朝風呂に入ろう。
風呂は疲れるから苦手で、家でもたいていシャワーだけが多いけど、
海の景色を見ながら朝風呂なんて、最初で最後かもしれない贅沢である。
またストレスからか最近は朝を抜くことが多いのだが、
クルーズでは7:00からの朝食にはちゃんと“参加”して、
久しぶりに朝飯もきちんと食べた。 昨日のウェルカムパーティから期待したとおりに、 かなりいいクラスのホテル並みの朝食だった (美味しさは、パンとオムレツとコーヒーが決定)。 しかし同じテーブルに朝から三膳も御飯のお代わりをしてるおじさんがいる。 今回のクルーズは年配の人がかなり参加していたのだが、 全員に共通しているのは、年齢以上にタフで健康そうな点だった。
食後、ちょっとデッキに出てみたり荷物の片づけをしたり一休みする間に、
兵庫県立大学公開講座パートIがはじまる9:00が近づいてくる。
最初は公開講座はサボって、どっかで仕事するつもりにしていたけど、
公開講座のすぐ後に、明日の日食の予行練習があるということで、
練習用に耐熱シートやデジタルビデオなども持参して、
公開講座を聞きながら、内職で仕事することにした。
いよいよ日食の予行演習だが、風がかなり強いので、
耐熱シートを拡げる演習はなしになり、現場の見学だけになる。
大型の客船だが、船上で空に向かって開いた場所は、それほど多くはない。
上から、
予行演習の後は11:30から昼食タイムである。 500人もの大人数なので、昼食と夕食は、 前半後半にわかれてテーブルに座るシステムになっていて、 クルーズ前半は、前半タイムに割り当てられていた。 2日目の昼食は掻揚げうどんや鰆の照り焼きなどの和食コースになっていた。 初日のウェルカムディナーで食べ過ぎになる人が続出することを考慮してだろう。 今日は朝食もきちんと食べたので、ほとんどお腹は空いていないのだが、 ビールの助けも借りて、そこそこには食べれるものだ。
前半タイムで昼食を終え、食事タイムには、 いつも真ん中のテーブルで目立っている森本おぢさんにも挨拶をした。 さぁ、いよいよ「黒田本舗」の開店である。 事前に目星をつけておいた、フリースペース的な3階「ベランダ」で、 最初の店開きをした。 それほど期待はしていなかったのだが、 通りがかりの人などがメインだが、 案外とお客さんがぽちぽちあって、 予定していた14:00までの2時間弱の間に、 たいした量ではないが、それでも予想以上にはグッズが売れた。 もちろん船内にショップもあるのだが、 日食記念グッズはないので、記念に買う人が出たようだ。 とくにTシャツは、5、6着も売れればいいだろうと思って、 10数着しかもって来なかったのだが、 初開店のこの時間だけで、7、8着も出てしまい、 このままだとTシャツは完売の雰囲気である (実際、他のグッズはだいぶ売れ残ったけど、Tシャツは完売した)。
グッズ販売が面白いながらもかなり草臥れて、 14:00からの公開講座IIは最後あたりにちょこっとだけ出て(笑)、 15:30からのアフタヌーンティーにはきっちり参加。 ほんっとに、ふだん以上に朝から晩まで食べてばっかりである。 その後でようやく、夕食までの短時間だが、 事前に是非こうしようと思っていた、 “空と海を眺めながら”の書斎モードに入る。 2日目ともなると、船内の実際の様子もわかってきて、 居心地のよさそうなテーブルもチェック済みである。 今日は生憎の曇り空で太陽は見えないものの、 ああ、やっぱ、至福のひとときだ。 これで、ネットが繋がって、旅費がかからなかったら(ここ大事)、 このままず〜〜っと、ここに居たいよお。 …後から考えると、ネットが繋がらない方がストレスがなくていい。。。
さて、初日の夕食は美味しい立食だったが、 前半後半にわかれる2日目の夕食からは、 テーブルについてのフルコースらしい。 17:30からの前半部で、あまりお腹は空いていないものの、 ぼちぼちとダイニングルームへ向かう。 ああ、しかし、昨日からの期待どおりに、 美味しい料理がつぎつぎに運ばれてくる。 ふじ丸、アルコールは種類が少なくてイマイチだが (個人的には唯一惜しかった点である)、料理の味は絶品である。 もう、最初からフルコースすべては無理なのが明らかで、 ステーキはパスするつもりで、コースを進めた。
夕食フルコースの後は、さまざまな各種イベントに混じって、 西はりま天文台のミュージアムショップ、ツィンクルが開店するタイムがあり、 こそこそっと(笑)黒田本舗も店を広げた。 ツィンクルでは、西はりま天文台のオリジナルグッズに加え、 海部宣男さんの新刊本や、寮美千子さんの本など、 なかなか品揃えが豊富である。 その一方、日食限定絵はがきとかクリアファイルはなくって、 案外と、商品はかぶっていない。 昼間ほどではないが、ちょびっと販売できて、 2日目の夜が幕を閉じた。 スカイラウンジで一杯だけ飲んで、12時ごろに就寝。
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7月22日(水) クルーズ第3日目 <皆既日食当日> | |||||||||||||||||||||||||||
皆既の朝、みな興奮して早く目覚める。 この2日間の曇天で風が強かった天気が、一転、 風は凪ぎ晴天となった。 空は青く、海はもっと青い。 すっごく睡眠不足だが、疲れも吹き飛びそうで、 ふだんならとうてい食べられないはずの朝食も、 ついつい食べ過ぎてしまう。
そして、8:30に参加者全員がパシフィックホールに集結して、 日食観測の準備にかかる。 黒田さんが登場すると、今日の快晴を祝して、全員が拍手喝采である。 そして、諸注意の後、スタッフに誘導されて、 さまざまな観測場所へ全員が行儀よく移動する。 ぼくたちはもっとも広くて200人ほどが展開できる6階船尾のスポーツデッキへ。 みな譲り合いながら十分なスペースを取って、 9時過ぎには観測場所を確保して一段落した。 これから、部分食が始まる第一接触まで約1時間、 6分間ほど続く皆既日食まで約2時間半、 晴れた代わりに猛烈な暑さの中、 かなりの長丁場だが体力がもつかなぁ。
おおまかなタイムテーブルとしては、ふじ丸の観測地点である、
しかし、スポーツドリンクで水分を補給したり、 ときどき1階下の自室に戻って休憩したりしているうちに、 汗びっしょりの中、いつの間にか第一接触の時間になった。 (観測していた6Fスポーツデッキに一番近い階段を下りたとこに、 自室が位置していたのは、ホントにラッキーだった) 第一接触(部分食の始まり)のここらへんから第四接触(部分食の終わり)まで、 およそ10分おきぐらいに、 “TOTAL SOLAR ECLIPSE”と孔を空けた「かず茶」作のボードを使い、 ピンホール像を撮影しているので、 まずそれらをまとめて並べておく。 ただし、完全にタイムを計ったわけではなく、 またデジカメのタイムスタンプの記録なので、 記録時間には数分の誤差がある。 このピンホール像はとても目立ったようで、 気がついた近辺の参加者たちが写真を撮りに来ていた。
またピンホール像については、もう一つ面白い実験をした。 円形や星形など形の違う穴を開けたボードを使うと、 投影面にボードが近いときには穴の形がそのままみえるが、 投影面からボードを離すとピンホール像になって、 どれも同じ欠けた太陽の形になってしまうのだ。 これはビデオで動画も撮影したが、ネットに貼るにはファイルが大きすぎた。
そして部分食が進むにつれ、 次第に欠けていく太陽は肉眼のちら見でさえわかる (危ないから勧めないが、食分が0.5ぐらいまで進んだとき、 一瞬だけ太陽を目にしたら形がはっきりわかった)。 さらに三日月ぐらいまで細くなると、気温の低下も体で感じられる。 そして皆既日食の始まる第二接触の数分前には、 船尾方向から皆既日食帯の暗さがわかりはじめる。 ここは少し説明が必要だろう。 今回の皆既日食では、小笠原諸島近海では 皆既日食はおおざっぱに北西から南東に向けて移動する。 そしてふじ丸も、少しでも皆既日食時間を延ばすために、 皆既日食帯のほぼ中心線に沿って、 皆既日食の進行方向である東南方向へ微速航行している。 ただし、皆既日食の進むスピードの方が船の航行速度よりはるかに速いので、 皆既日食の領域は船尾側から船に追いつくことになるのだ。 そしてスポーツデッキは船尾にあるため、 船尾方向から暗い領域が近づくのがはっきりわかるのだ。 すなわち、皆既日食の少し前ぐらいになると、 船首方向はまだふつうの空の色と明るさなのに、 船尾方向は青黒い色に染まっていくのである。 地上で観測する場合には地面に凹凸があったり、 地面の色合いがさまざまだったりして、 皆既日食帯の進行がわかりにくい場合もあるだろう。 今回の観測は海上だったために、 海面の凹凸は皆無であり、色合いも青一色なので、 船首方向と船尾方向の違いはもちろん、 船首方向から船尾方向へ変化する色合いも明瞭に見て取れた。 船体の7階と8階の構造物だけが、 6階のスポーツデッキから船首方向にみえる唯一の障害物だったが、 スポーツデッキのもっとも船尾側に陣取ったので、 船体部分も思ったほどには邪魔には感じなかった。
いよいよ、お待ちかねの皆既日食タイム!
わっはっは、ここで告白しておかなければならないが、
あまりに興奮してしまい、
その赤い水平線をぐるりと撮影したはずのビデオ、
ボタンを押し間違えたのか写っていなかった(爆泣)。
皆既が終わった後に、何だか変だとビデオをチェックして、
あれぇ〜と、しばし呆然となってしまった。
まぁ、自分の目にはしっかり焼き付けたのでいいとしよう。
皆既日食が終わると、まだ部分食は続くが、 次第に日差しと暑さが戻る中、参加者はつぎつぎと撤収していく。 ちょうどランチタイムとなって、今回の大成功を祝って、 あちこちのテーブルで乾杯の声が上がっていた。 冷やしそうめんなどの和食風だが、一口フィレカツがとても柔らかくて美味しかった。 いまこの行を打っているのは、 皆既日食終了から2時間と少し経った時点である。 すでに青空が戻り、見渡す限り青い海が広がる中、 日本国内や他の地点での観測がどうだったのか不明だし、 そもそも日本がどうなっているのか存在しているのかさえ不明だ。 一つの村に匹敵する600人以上の人々を乗せたまま、 興奮醒めやらぬふじ丸は、日本へ向けて舵を切った。
午後のアフタヌーンティーの後、 第一接触(部分食の開始)から第四接触(部分食の終了)まで3時間以上、 スポーツデッキで撮影を頑張った同行者たちが午睡を取っている間に、 撮影した全部のデータを集約整理したり、 またそれらの中からぼくたちのパーティのベストショットを選んでみた。 残念ながら、ぼく自身が撮影したショットは入っていない(泣)。
そしてディナータイムの後には、21:00からまたまた、 ツィンクルと一緒に黒田本舗の開店である。 ただ、この夜は、パシフィックホールで、 「(自分はこんな写真を撮りました)フリートーク」大会なので、 お客さんはさすがに出足が鈍い。 それでも、姫路の「ひなの」ちゃんのお手伝いもあって、 そこそこの売れ行きであった。 この2晩ほど4、5時間しか寝ていないので、 さすがにこの日はベッドに入ったとたんに爆睡だった。
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7月23日(木) クルーズ第4日目 | |||||||||||||||||||||||||||
もう何日も乗っていたようなクルーズもようやく後半である。 あまりにも深く熟睡していたためか、 たった4時間ほどでぱっちり目が覚めてしまった。 ナポレオンは毎日3時間ぐらいしか睡眠を取らなかったというけど、 しっかり熟睡すればそんなもんかもしれない。 大浴場は6:30からだが、もういいかと思って6:20ごろ行ってみたら、 一番乗りだった。 やっぱりすごく運動がいいのか、朝から珍しくお腹も空いて、 ベーコンやウィンナーも含めたっぷりの朝食を摂取。
夕べ一晩、父島二見港沖に停泊していたふじ丸は、 7:00ぐらいには二見港へ入港している。 ただし、二見港の水深が浅いのだろう、 ふじ丸のような大きな客船は直接には接岸できないので、 通船(つうせん)に乗り換えての上陸となる。 オプショナルツァーのある人もない人も、 ほとんどの参加者は父島へ上陸したようだが、 午後のオプショナルツァーや後のことを考えて、 午前は上陸せずに体力の温存を図ることにする。 そしてお気に入りのテーブルで海を見ながら、 まずお客さんは入らないけど(笑)黒田本舗を開店しつつ、 これを書いたりしている。 いまからは、データの整理をしたり、お仕事モードに入ろう。
ふたたび昼には豪華な昼食だが、 朝食をたっぷり食べたので、あまり入らない。 あっさりと食べて、通船で父島へ渡る。 小笠原はたしかに暑い。 小笠原の土を踏むことはもう二度とないだろうと思いながら、 汗まみれになりつつも少しだけ二見港を散策。 そして14:00の定刻になったので、マイクロバスで オプショナルツァーのVERA小笠原局の見学に出かける。 業界の人間としては、ここまで来たなら、 やはり視察しておくべきだと考えた、一応。 VERAへのツァーは午前と午後と4回ぐらいあったようで、 海部さんは午前中に行ってきたらしく、 午後の同じ便には森本おぢさんが一緒だった。 帰りは、スコールの中をふじ丸へ戻る。 行きの汗まみれよりは、ちょっと楽しい体験だった。
一休みしながらデータの整理をしているうちに、 二見港をふじ丸が出港するアナウンスが流れる。 ふじ丸と二見港を結んでくれた通船のお見送りがあるので、 4階プロムナードデッキまでどうぞというアナウンスである。 ビデオとデジカメを手に出てみたら、 5、6隻の船が見送ってくれた。 別れを惜しむ参加者もおり、なかなか感動の演出であった。
今日も盛りだくさんの一日で、なんだかひどくお腹が空く。 最近はふつうではありえない状況だ(笑)。 今晩のディナーからは、食事パートは後半部になり、 食事開始は19:15分からである。 最終日のプレッシャー(お仕事)はあまり考えないようにしながら、 データを整理したり、ホームページを作成したりして、時間をつぶした。 そしてふたたび、豪華なディナーだが、和食なので助かる。。 牛肉の胡麻焼きというステーキも付いたが、肉がとても柔らかいので、 何年かぶりにステーキを食べてしまった。 さすがに眠くて夜は10:00ごろには爆睡してしまう。 ところで、毎食毎食何も考えずに美味しく食べていたが、 戻ってからよくよく考えてみると、これってすごいことじゃなかろうか。 というのも、毎食毎食、500人からの船客にフルコースレベルの料理が出るのだ。 最初の方で、一流ホテルが海に浮かんでいるようなものだと書いたが、 500人ぐらい泊まれる大きなホテルでも、泊まり客全員が ホテルのレストランで食事をするわけではあるまい。 またホテルやその他の大きなレストランでも、 結婚式などで500人のコース料理を出すことはあっても、 毎食毎食いろいろ違った組み合わせでとなると相当に大変だろう。 豪華客船の厨房には、トップの総料理長のもとに、 各分野での一流のシェフが何人もいるんだろうなぁ。
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7月24日(金) クルーズ第5日目 | |||||||||||||||||||||||||||
夕べは10:00ごろには寝てしまったので、3:00過ぎには目が覚めてしまう。 どこまで興奮しているやら。 夕べも熟睡はしたようで、あまり眠くはないけど、身体、もつかなぁ。 4:30ぐらいから日の出を撮影しにデッキに出たが、 生憎と曇り空で、あまりわからなかった。 昨日の小笠原も天候が悪かったし、 皆既日食の日だけ、奇跡的に晴れた感じである。 2日目あたりには日の出がみえたようで、 グリーンフラッシュをみた人も何人かいたらしい。 ぼく自身は残念ながら水平線からの綺麗な日の出や日没の写真は撮れなかった。 この日以外も日の出の時間には目が覚めてはいたのだが、 身体がもう動かなかった(泣)。 でも、この日も、日の出の時間帯のデッキには案外とたくさんの人が出ていて、 なかにはジョギングしている人さえいる。 さらに6:00ごろには、前日からアナウンスのあった孀婦岩(そうふいわ)周遊。 これは何千メートルかの海底から海面に100mほど突き立っている岩らしい。 やはり最初で最後の出会いだろうか。
ちょうど大浴場の開く6:30になったので、 今朝も海を見ながら朝風呂に入る。 毎日もう天国のような生活だ。 3:00から起きているので、お腹も空いて、7:00から朝食へ。 またしっかり食べてしまい、やや食べ過ぎ感が爆発状態。
最初からも書いているが、ふじ丸のパン(“ふじ丸パン”とあった)は、
デニッシュ風のものも食パン風のものも、とてもいい味をしている。
クルーを合わせて630人分ぐらいのパンやクッキーは持参できないから、
交代制であろうクルーの賄い分まで含め、毎日何度か焼いているのだろう。
基本の味がいい上に焼き立てで、しかも毎回少しずつ違うのが出てくる。
これはたまらない。
朝食後の8:30ごろには、現在では無人島になっている鳥島を通り過ぎる。 ゆっくり眺望できるように船の速度は落としてあるようだ。 またまた船首まで撮影しに行くが、そうか、 船の中を歩き回るから運動量がめちゃ多いわ。
今日も船内各所で盛り沢山のイベントが企画してあるのだが、
今日こそはゆっくり静養しようと思う、間もなく… 操舵室を出ると、ふじ丸のスタッフで顔見知りになった インフォメーションデスクのプリティなお姉さんが道案内をしていたので、 ツーショットを撮らせてもらった(!)。 いや、顔見知りとはいっても、 数日前に船室のトイレットペーパーがなくなって、 インフォメーションへもらいに行ったら、 そのお姉さんが対応してくれたぐらいだが。 ただ、トイレットペーパーがとても欲しかったので、 入手できたのがあまりにも嬉しくて、ついつい、 Thank you pretty girl! と言ってしまったけど(笑)。 この後、ついでに、船をぐるりと取り巻いている4階のプロムナードデッキを一周して、 周囲すべてが海ばかりであることを実感した。
朝から動き回ったので、その後は例によって、 お気に入りのテーブルに陣取り、 『数学セミナー』誌から頼まれていた日食紀行文の仕上げなどをする。 日食がどうなるかわからないし、 そもそもどれくらい時間があるかわからなかったので、 紀行文は仮の写真と文章でだいたい書いてきておいたのだが、 皆既日食を経験した後は、大部分破棄して大幅に書き直すことになった。 その作業自体は日食直後に興奮した状態でやったのだが、 書き直し文の推敲をして、帰京したらすぐに送稿できるよう、 仕上げやPDF化や図の整理などを行った。 その間に、同時開店していた黒田本舗にも、 お客さんがポチポチ来られて、なかなかに忙しい(笑)。 書きかけ中の本の推敲や抱えてきたその他の仕事は、 もはや完全にあきらめた。 そしてまたまた昼食タイム。 ほんと食ってばっかりな気がする。 後半部で13:00ぐらいにダイニングに入ったので、 結局またまた、そこそこに食べてしまった。 航海の初日からスタートしたTシャツコンテストは、 投票締め切りも間近になり、 展示場所を3階ベランダから、 人通りの多い2階の食堂前に移して、 投票を呼びかけている。 最終的には14点の応募があったらしい。 エントリーナンバー1と2がわれわれのパーティが出したもの。
昼食を慌ただしく済ませた後は、13:30から、 明日のサイエンストークの打ち合わせを、 サイエンストークを司会する大阪産業大学の真貝さん・理研の望月さん、および、 同じくトークをする毎日新聞の国枝さんと行う。 そう、こいつが最終日のプレッシャー(お仕事)である。 今晩発行される船内新聞に掲載するため、 トークのタイトルや簡単な説明文を決めて、 小一時間で打ち合わせは終了した。
今回のツァーでは、公開講座など公式行事とは別に、毎日、
ストレッチ、マジック、シャンソン、ピアノ、お茶席、琵琶、
写真教室、ショップ、フリートーク、サイエンスショー、
ナイトシアター、ソング、ロープワーク、チェンバロ、
Tシャツコンテスト、そして観望会など、
実にさまざまなイベントが、
朝の6:30から夜中の23:30まで、
それはそれはびっしりと企画されている。
世話人も演者もみなボランティアらしい。
NHKテレビで放映されたそうだが、船上結婚式まであった。
ちなみに、その新婚さんもさきほど記念グッズを購入してくれた。
やばいぞ、これは。 とりあえず、昨日はツカミネタとして、 皆既日食の写真だけは即席で加工しておいたが、話の中身はどうしよう。 高校生相手の話はよくするし(たいていブラックホールネタ)、 天文に関心がある聴衆も比較的やりやすいが、 今回のツァーは、コアな日食ファンやごく一般の人が大部分で、 これはやりにくいなぁ。 ふつうはブラックホールネタで話すけど、 今回の参加者だと、かなりすべりそうだ。 おまけに、黒田さんの采配で、最終日のトリに回されてしまった。 真貝さんや望月さんからも、最後に上手にまとめて欲しいと言われるし、 ますますプレッシャーがかかる。 さらに、初日は100人ぐらいで一杯になる小さなシアターが会場だったが、 昨日あたりからは、参加者全員が入れる最大のパシフィックホールに 会場が変更になっている。 壇上から話すのは、ますます足が竦みそうである。 ううう、もう泣きそうだけど、また後で考えることにしよう。 ぼくの泣きそうな気持ちを反映してか、 窓の外も一転して荒れ模様の海である。 ネット世界から一週間も切り離されたのは、 インターネットが生まれて以来、2度目か3度目くらいだろう。 明日にはまた、ネット世界や現実世界へ戻らなければならないと思うと、 その意味でも少し悲しくなってくる。
睡眠超不足な上に満腹度が高いので、ときどき意識が飛びそうになるけど、
そろそろ15:30からのアフタヌーンティーの時間が迫ってきた。
このふじ丸、パンやおかずや毎回の食事だけでなく、
コーヒーもケーキやクッキーもとても美味である。
一流ホテル以上にほんとに美味だと思っていたら、
さっきイベントスタッフの人と話したとき、
クルーズ船としては一二位を争う旨さらしい。
船のクルーやスタッフのサービスも満点で、
完全にふじ丸ファンになってしまった。
アフタヌーンティーの後に、一応、それなりに真面目に、明日の下見をしようと、 今日のサイエンストークの時間にパシフィックホールを覗いてみたが、 海部さんの時間だからか、200人ぐらいは埋まっていそう。 プレッシャーレベルを上げただけで下見は終わってしまい、 すごすごとマイテーブルへ戻って荒れた海を眺めている。 黒田本舗への客足も途絶え、一人黄昏状態へ移行。
今日はボーっとしていて、あまりお腹が空かないが、
夕食は後半部なので、そのころには食べられるかなぁ。
そして、20:30からは、最後の大イベントのTシャツコンテストだ。 ずいぶんと多く−14点−の出展があったようで、 1時間の枠でコンテストタイムが取られた。 エントリーナンバーのNo1とNo2は、 黒田本舗専属デザイナーの「かず茶」制作の作品だ。 わざわざ1時間の枠が取ってあるので、 これは出展者のスピーチ付きだろうと推測して、 デジカメはもちろんビデオも用意して会場に入り、 ベストアングルなポジションに陣取った。 コンテストの結果は、参加者の投票(一人1票)と、 5人の特別審査員の投票(一人30票)で決まるらしい。 トップバッターのかず茶、最初にも関わらず、 堂々たるコンセプトスピーチだった。いいぞ、かず茶。 実際、その後のプレゼンテーションをみても、 (身贔屓を差っ引いても)おそらく素直でピカイチのアピールだった。 …やっぱ、身贔屓かなぁ(笑)。 さて、長時間の念入りな審査の結果、 最優秀賞は一番リキの入っていた小川さんのデザインに決まった。 やはりTシャツを販売していた人で、 Tシャツ前面と背面の両面に多色刷りで印刷したTシャツを、 サイズもSやMやLなど他種類を揃え、3000円で販売していたらしい。 黒田本舗の開店中にも来て、 “売れてますかぁ〜”と敵情視察(笑)していた。 うちは遊びなんで原価で売っているから、 完売しても利益でないんですよぉ、と答えたら、驚いていたけど。 小川さんのTシャツも完売したようで、 メッセージボードに追加注文受け付けますと出ていたけど、 送料込みで3000円でOKとあったから、 両面フルカラーだと利益でないだろうなぁ。 というわけで、最優秀賞は逃したが、 各特別審査員による審査員賞が5作品に授与されて、 幸い、エントリーナンバー1のTシャツがアクアマリン賞をもらえた。 この特別審査員賞を配慮するのに選考時間がかかったようである。
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7月25日(土) クルーズ第6日目 | |||||||||||||||||||||||||||
昨晩もベッドに入るや否や爆睡だったが、 やはり4時間ほど寝たら目が覚めてしまう。 そのままベッドにごろごろしながら、 今日のサイエンストークの話など、 考えているうちに、外が明るくなってきた。 でも日の出を撮影しに行く体力気力はなくて(笑)、 そのまま大浴場が開く時間までごろごろしていた。 結局、この5晩ほどはすべて、4時間程度、 レム睡眠2回分しか寝ていないが、 黒田さんなんかはほとんど寝ていないだろうなぁ。 … 実際、最終日に黒田さんが挨拶していたとき、 主宰者用にいい部屋とベッドを用意されていたけど、 そのベッドで寝たのは一晩だけだと言っていた。 荷造りなどをして、軽く&しっかりと朝食を摂って、一休みしたら、 いよいよ、8:30からのサイエンストークの時間が近づく。 準備のために8:00過ぎにパシフィックホールへ向かう。 まもなく定刻となり、望月さんの司会のもとで、 まず毎日新聞記者の国枝さんが記者生活の話をし、 そして最後に、ぼくが「ちょうどよい宇宙」というタイトルで話した。 200人弱の聴衆を前に壇上から話すので、 まぁ、いつものごとく、完全にてんぱってしまい、 何を話したやら(?????)。 最後のイベントであるサイエンストークがようやく9:30に終了。
前の日に用意したパワポのPDFファイル;
日食や魚眼レンズの像の一部はアニメーションにして貼り付けてある;
このアニメーションの部分では会場から歓声があがった 10:00からは、同じくパシフィックホールで、 公式行事である公開講座の修了式が行われた。 これには500人全員が出席して、パシフィックホールが埋まる。 参加者全員を代表して、米寿の参加者に修了証が授与され、 黒田さんの挨拶や、旅行会社の事務連絡などがあって、 修了式は滞りなく終わった。 長くて短いクルーズもフィナーレとなった。 11:30からは、ふじ丸で最後の食事、 フェアウェルランチの時間となる。 プログラムからはわからなかったのだが、 初日のウェルカムパーティや 最終日のフェアウェルパーティは、 どうやら、主催者の組むイベントではなく、 乗船者に対するふじ丸自身の感謝イベントのようだ。 フェアウェルランチでも料理やアルコールがふんだんに振る舞われ、 ビンゴゲームで盛り上がり、主催者や船側など関係者の挨拶もあり、 おもてなしの心に満ちた、とても楽しいパーティだった。 13:00過ぎから名残を惜しみながら下船が開始される。
16:00には無事帰宅。 完全にネットから切り離されていた一週間で、 何百通も溜まってはいないかとメールを開くのが怖かったが、 公式アドレス(56通)と個人アドレス(30通)合わせても 100通に満たず、ほっと一安心した。 明日からは現実世界に戻らないといけないが、 すでに世界は以前と同じではなくなったのも事実である。
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後始末 |
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例によって、大きなイベントの後は、後始末が大変であった。 ・ホームページの作成 事前準備などはクルーズ前から書き始めていて、 クルーズ中もずっとリアルタイムで書き進めたが、 写真などを貼ると大幅に書き足す必要もある。 もちろんデジカメデータの整理やビデオデータの保存なども必要。 ・紀行文 クルーズ直前に『数学セミナー』誌から日食紀行文を頼まれていて、 クルーズ中に仕上げて、帰宅翌日に送稿した。 ・皆既日食報告 皆既日食があまりに劇的だったので、『数学セミナー』誌以外にも、 『天文月報』誌と『天文教育』誌に皆既日食の報告記事を書くことにした。 もっとも、同じ内容というわけにもいかないので、 『天文月報』誌へは観測状況や赤い水平線など研究よりの話を、 『天文教育』誌へはクルーズの紹介やピンホール像の実験など 読み物的で教育よりの話を書くことにした。 …また余計な仕事を増やしてしまった。 …そして山のように溜まっていた事務仕事。。。
幸いにして、そこそこの写真も得られたので、
とりあえず、この夏に予定されているさまざまな行事: 皆既日食翌日に、写真をトリミングして粗いアニメは作ったが、 帰京後、同じパーティメンバーが、 より精度のいいトリミングしてくれたので、 アニメーションはもう少し綺麗になった。
●第一接触から第二接触まで●
●第一接触から第四接触まで(短いステップ)●
後日談 パート1:黒田本舗収支決算
ちなみに、とっても遊べた黒田本舗の収支決算だが。
もともと黒田丸ツァーを盛り上げるための遊び企画で、
利益も出ない価格設定にしていたが(しかも持参しきれなかったし)、
全然売れないのは寂しいなぁ、と思っていた。
幸いにも予想外に売り上げがあって、
投資した額のほぼ半分が回収できたという成績だった。
絵はがきセットやクリアファイルはだいぶ残ったけど、
Tシャツは数も少なかったし自分たちの記念用以外は完売した。 うーん、そうだなぁ、これを読んでいる人の中で、 絵はがきやクリアファイルが欲しい人がいれば、 送料別になるけど8月中くらいは通信販売 をしようかしら。 気になる人はメールで連絡下さい。 後日談 パート2:クルーズのお値段 皆既日食当日にも、いろいろアナウンスがあって、 敵船やら味方船やら、おもしろい話もあったのだが、 当日、同じ海域には以下の5隻の大型客船が遊弋していたらしい。
ふじ丸(日本チャータークルーズ;2万3235トン)/500人/5泊6日/約140000円 乗客数や泊数や最低料金などは、 ネットやその他の情報を集めたものだが、 まぁ、クルーズの一つの目安として欲しい (ふじ丸は今回は通常2人部屋を4人使用した)。 一般的には、いい目のホテルに泊まってフルコースを食べるぐらいのお値段のようだ。 飛鳥IIの世界一周クルーズは100日ほどで、 最低料金が400万円ぐらいのようだ。 後日談 パート3:行動記憶リセット また後日というか、帰宅2日後の27日の月曜日に大学に行ったときのことだが。
人間、とてつもない体験をすると、相当なリソースを使ってしまうらしい。
長期的な記憶になっているはずの、日常習慣的な段取り記憶が落ちていた。 後日談 パート4:幻の企画書
戻ってからツァー関係のものを整理していたら、
“黒田丸 お祭 企画書”と表記された大学ノートが出てきた。
1ページ目には、
2ページ目からは、
また準備物としては、
他にも、ノートにはないが、そういえば、 よく遊んだ |
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おわりに |
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冒頭にも書いたように、皆既日食だけは、
実際に体験しないと、どういう意味があるのかわからないと思う。
ぼく自身がそうだったし。
だから、チャンスがあれば、是非、日食ツァー(+α)に行くことを勧める。
ぼく自身がとくに日食フリークだったわけではなく、 もともとはクルーズ目当てで日食は見えればめっけもんのつもりだった。 そして、期待以上にふじ丸のクルーズは素晴らしくて、 予想通りに「クルーズ病」には罹ってしまった。 帰ってからも即座に、ふじ丸のつぎのクルーズ予定や、 飛鳥IIで世界一周のクルーズをしたらどれくらいかかるとか (約100日で、400万程度)調べたりして、 貯金を全部はたけば行けそうだけど、 100日も休んだらクビになるなぁ、とか思ったりしたものだ。 一方、初日のオリエンテーションで、黒田さんが、 “みなさん、きっと日食病に罹りますヨ。 これはお医者さんでも治せないので、 船の医務室にいっても無駄です…” などと、参加者を笑わせていて、 ぼくもワハハと笑い流していたのだが。 職業柄、太陽の画像なんて飽きるほどみているし、 最近ではひので衛星の詳細なムービーを講義でみせたりもしていて、 まさか、「日食病」などと思っていたわけだ。 しかし、自分の目でみた“黒い太陽”は、 まったく違うものだった。 ものの見事に「日食病」に罹ってしまったのである。 美味しそうな料理の写真をみることと、 実際に美味しい料理を食べることとは、まったく違う。 皆既日食の写真はたしかに綺麗だが、あくまでも綺麗な写真でしかない。 やはり本物はまったく違うということだ。 ダイヤモンドリングが変化するときの光の躍動や、 赤い水平線の不思議な色彩は実際にみないことにはわからないと思う。 自分たちを取り巻く自然界のセンス・オブ・ワンダーは、 やはり自分自身の五感で捉えるのが一番大事である。 ほんと、何とかチャンスをみつけて、ぜひ皆既日食を体験してみて欲しい。 おそらく人生観が大きく変わるだろう。 すでに現実世界に戻って、雑用書類の山に埋もれているけど、 以前とは世界の見方が変わってしまっていることもわかる。 自分の世界がとてもちっぽけなものだったと思うし、 世事にあれこれと悩むのがあほらしくなって、 多少のことはどうでもいい気になってきた。 つぎに日本で皆既日食がみられるのは2035年の9月2日、26年後である。 80歳かぁ、少しやばいなぁ、まだ何とか生きているかなぁ。 クルーズ船は出るかなぁ。 などと、先のことを調べながら、 2012年11月13日のオーストラリアを、 一度は見ておきたかった南天の星空と併せて、 いまは本気で考えている。 |