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よくある誤解
宇宙膨張の加速は突然見つかった?

宇宙が膨張してることは現代宇宙論の基本的な前提となっています.最初は理論的な可能性にすぎませんでしたが,1920年代に遠方の銀河はその距離に比例する速度で遠ざかっていることが判明しました.この観測事実は,宇宙が一様に膨張していることを示しています.その結果,静的な宇宙をもたらすために導入された,空間が持つエネルギーを表す一般相対性理論の宇宙項は撤回されることになりました.では宇宙が膨張しているとして,その挙動が過去どうであったのか,また今後どうなるかについては,宇宙に内在する物質による重力 (万有引力) によって,宇宙の膨張はどちらかといえば減速しているだろうと考えられていました.

ところが20世紀が終わる頃,Ia型超新星を標準光源とする銀河までの距離と赤方偏移の測定によって,宇宙の膨張の歴史が調べられました.その結果,宇宙の膨張速度はなぜか加速に転じていたことが明らかになりました.つまり宇宙の膨張の度合いは,減速どころか、さらに勢いを増していることになります.この結論は1998年1999年に独立した2つの研究グループから発表され,他の検証を経た結果,従来の予想に反していたにもかかわらず割とすみやかに事実として受け入れられ,研究を主導した3名は2011年のノーベル物理学賞の対象となりました.どのようなエネルギーが加速の原因となっているのか,その正体は未だに不明ですが,この発見は宇宙の組成に対し未知の暗黒物質 (dark matter) に加えてさらに未知の暗黒エネルギー (dark energy) の存在をもたらすなど,宇宙の構造や時間変化を扱う現代宇宙論に非常に大きな影響を与えることになりました.

ところで,この宇宙の加速的膨張の発見について,20世紀末に突然見つかった驚きの発見とされることがあるようです.しかしながら,既にその頃までに,宇宙における銀河の分布である大規模構造をシミュレーションで再現しようとすると,宇宙項を含む構造形成モデルの方が現実をうまく再現できることが示唆されており,そのため一部の宇宙論研究者にとって宇宙の膨張速度が加速していることは十分予想の範囲内の発見だったようです.そのような研究者の一人である松原隆彦氏の著書から引用します.

最近の解説などではよく、Ia型超新星の観測によって1998年に突然宇宙の加速膨張が見つかったかのように言われることがあるが、リアルタイムで研究をしていた私の印象はそれとはかなり異なっている。1990年代中ごろには、すでに大規模構造の観測などにより宇宙項のない宇宙モデルがかなり厳しい状況に追い込まれていたからだ。

宇宙項があれば宇宙は加速膨張するので、現在の宇宙が加速膨張しているという間接的証拠はすでにかなり揃っていた。先にも述べたように、日本の研究者の間では宇宙項入りの宇宙モデルをそのころ精力的に研究していたのだ。それに対して、欧米の研究者は宇宙項のない宇宙モデルにこだわる傾向があったように思われる。

もともとIa型超新星の観測を進めていたグループも、最初は宇宙の膨張がどのように遅くなっていくかを調べて、宇宙に含まれている物質の量を測ろうとしていたのだ。その意味では、発見者自身にとっても宇宙の加速膨張は予想外の結果だったようだ。

宇宙項のないモデルにこだわっていた研究者にとってIa型超新星の観測はショッキングだっただろう。だが、私を含めてそうでない研究者にとってはそれほどの驚きではなかった。むしろ「やはりそうだったか」というのが率直な感想だったのだ。このような感想を抱いたのは私だけでなく、同様の感想を他の研究者からも聞いたことがある。

松原隆彦 著『図解 宇宙のかたち 「大規模構造」を読む』(2018年, 光文社新書) 219ページから引用

(さらに余談) ちなみに私は1999年当時は大学院生でしたが,観測的宇宙論に直接たずさわっていたわけではありませんでしたので,このような業界事情には明るくありませんでした.ただ当時,この発見は天文学者の専門分野の枠を越えて広く話題となっていました.特に私はこの発見の土台となる宇宙の距離指標に用いられたIa型超新星の起源天体に関する研究もしていたので,その重要性が従来に増して認識されることになったわけで,ある意味無関係ともいいがたく,論文にも目を通しましたし,さっそくこの発見と絡めた研究提案書類をせっせと書いていました.

なお,この本は出版形態からわかるようにごく一般向けの書籍ではありますが,数学や天文学に関する専門的概念を積極的に扱っており,前提知識のない普通の大学生くらいだと読解がやや難しいかもしれません.第1章から3章まではおそらくほどんどの人が読んで理解できる内容ですが,第4章からは宇宙の大規模構造を読みとるための手段としてフーリエ変換やパワースペクトルの概念が出てきて,ちょっと理系の素養がないと付いて行くのが難しくなってくると思います.第5章以降はさらに踏み込んだ手段として相関関数やミンコフスキー汎関数,また宇宙の構造を理解するための赤方偏移空間,宇宙の物差しとなるバリオン音響振動 (baryon acoustic oscillation = BAO) など,一読で理解するにはある程度の数学と天文学の素養が自ずと求められてくる内容となっています.しかしその分,宇宙の大規模構造の定量的な分析について,プロ向けの観測データも用いたごまかしのない解説がなされているため,がんばって読解の努力をすれば専門書さながらの満足感が得られるでしょう.この手の新書は発売から時間が経過すると,どんどん人目につきにくくなりがちなのですが,他に類書がないという意味でも,そうなるのが惜しい一冊です.特に一般教養レベルの天文学をひととおり修めて,観測的宇宙論についてさらに踏み込んだ理解を求める大学生には,そのとっかかりとして是非読んで (挑戦して) みてほしいと思います.

松本 桂 (大阪教育大学 天文学研究室)