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ガリレオ・ガリレイは海王星を見ていた

海王星は1846年に発見されましたが、その234年前となる1612年に、ガリレオ・ガリレイは図らずも海王星を目撃し記録を残していました。

ガリレオは天体望遠鏡を使って木星の4大衛星 (イオ、エウロパ、カリスト、ガニメデ) を発見したことで知られています。これらの衛星は木星をまわる天体であり、地球を宇宙の中心とする当時の天動説にもとづく世界観において、地球の支配下にない星が宇宙に存在することを見い出したことは、ガリレオが地動説を確信するに至った理由のひとつとされています。

木星の衛星の動きを記録したガリレオの観測スケッチには、たまたま木星と同じ視野内に見えていた背景の星も描き込まれていることがありました。図1は1612年12月27日の観測記録です。図1の上側のスケッチは12月28日午前3時28分頃 (天文学で使われる30時間制ではまだ12月27日の27時28分とみなします)、観測ノートをはさんで下側のスケッチはそれから約3時間後の観測で、木星が○、衛星が黒点、衛星の公転面が直線で描かれています。また木星から引かれた曲線の数字は、木星の半径を単位とする衛星までの距離を示しています。たった3時間で衛星が公転運動によって位置を変えている様子が記録されています。

この記録には、上下どちらのスケッチにも木星から左上方向へ点線が描かれており、その先に星 (fixed star) が見えていたことが記録されています。ガリレオはこの星を背景の恒星とみなしていたのですが、実際にはこの星は海王星でした。同様に1613年1月の観測スケッチにも海王星の位置に星が記録されており、しかもその位置が以前の観測時から変化しているらしいことも観測ノートに記載されています。しかしそれ以降、ガリレオの興味は木星の衛星の観測からは離れて行ったようです。また海王星の追観測がなされた様子もありません。

したがってガリレオは、海王星が発見される234年前 (と同時に天王星が発見される170年も前) に、おそらく人類で最初に海王星を既に目にしていたのですが、それを新しい惑星とは認識していなかった、少なくともそのような報告は行なっていないため、一般的には海王星の発見者とはみなされていません。



図1:ガリレオ・ガリレイによる1612年12月27日の木星の4大衛星の観測記録。
木星から左上方向へ伸びる点線の先にある星がじつは海王星だった。




図2:図1のガリレオの観測記録を再現した星図 (クリックで拡大)
1枚目ではイオは木星の手前で重なっており衛星は3個しか見えない。
2枚目の右上に見えている星はおとめ座の7等級の恒星 HD 105374。
木星の東 (左側) に8等級の海王星が位置していたことがわかる。

松本 桂 (大阪教育大学 天文学研究室)