天文学の小ネタ集へ戻る

甲子園球場の名前の由来 (十干・十二支)

甲子園球場は2024年にオープン100周年をむかえますが,その名称は,開場年の1924年が干支で「甲子」の年だったことに由来しています.

干支とは,甲から癸の十干と,子から亥までの十二支を順に組み合わせた十干・十二支で数をカウントする方法です.そうすることで10と12の最小公倍数である60で一巡する下図のような周期性が生まれます.よく使われる例は,生まれ年からの経過年数に適用した「還暦」です.もともとは古代中国において年を干支の60年周期で名付ける制度が始まったとされ,各年は干支のいずれかが対応することになります.たとえば歴史上においても672年の「壬申の乱」など,事象の発生年の干支がその名称に使われることがあります.

そのなかでも「甲子 (コウシ・きのえね)」は十干と十二支の先頭が合わさるため縁起の良い年とされるようです.したがって新球場の名前が甲子園とされたわけです.なお2024年は「甲辰 (コウシン・きのえたつ)」です.

現在でも十干はものごとの序列を表わしたり任意の名前付けなどに使われています.十二支は年賀状でおなじみの干支 (えと) で使われますが,本来は十干と合わせた概念だったものが十干の方は省略されるようになったようです.

じつは十二支は天文学に関係しています.外惑星のなかで最も明るい木星は夜空で支配的に輝くため,古くから洋の東西を問わず特別視されました (西洋の神話でも高位の神の象徴とされています).木星は地球から見ると約12年の周期で西から東へ空を1周して元の位置 (星座) へ戻ります.そこで古代中国では木星がいる位置によって干支で年を表わす仕組みが作られました.かつて木星が歳星と呼ばれていたのはこのためです.厳密には木星が空を1周する周期は12年より少し短いので徐々にずれるのですが,後漢の頃に木星の運行とは無関係に機械的に干支をあてはめるようになり,そこから現在まで続いているそうです.なお夜空では木星より金星の方が明るいのですが,金星は内惑星なので明け方か夕方にしか見えません (真夜中に見えることはない).

下図が干支の一覧です (6行目は1行目と同じで以降は同じパターンの繰り返し).

松本 桂 (大阪教育大学 天文学研究室)