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スティグラーの法則 (Stigler's law of eponymy)
統計学者のスティーヴン・スティグラーが1980年に提唱した「科学的発見に第一発見者の名前が付くことはない」とする法則。スティグラー自身が認識しているか如何によらず、この法則に当てはまる概念は多数あり、ここでは天文学に関連するものをいくつか紹介します。
- ウィルソン効果
- 太陽黒点の中央の暗部がその周囲の半暗部より凹んで見える現象
- 1769年に提唱したアレキサンダー・ウィルソンに由来
- その100年以上前にクリストフ・シャイナーが既に気づいていた
- エンケ彗星 (2P/Encke)
- 1786年にピエール・メシャンが発見した
- 1822年にヨハン・フランツ・エンケの軌道計算により3.3年周期の彗星と確認された
- オイラーの公式
- 1714年にロジャー・コーツが対数形式で発見した。すなわち
ln(cos(x) + i sin(x)) = ix
- その約30年後にレオンハルト・オイラーが指数形に注目した。すなわち
eix = cos(x) + i sin(x)
- これが元になった eiπ + 1 = 0
が「オイラーの等式」として有名
- オルバースのパラドクス
- 宇宙が一様で無限ならば、宇宙は太陽面のように明るく輝かなければならないが、現実の夜空は暗い
- 1952年のヘルマン・ボンディの著書において19世紀のヴィルヘルム・オルバースによるものと紹介され普及した
- 17世紀のヨハネス・ケプラーや18世紀のエドモンド・ハレーが既に気づいていた
- カイパーベルト
- 海王星の軌道の外側に存在を示唆したジェラルド・カイパーに由来
- カイパー以前に何人かの研究者が提案していた。むしろカイパーは「オールトの雲の起源であり既に存在しない」と提唱した
- 現在ではエッジワース・カイパーベルトと呼ばれる
- ガウス分布 (正規分布)
- 1733年にアブラーム・ド・モアブルが発見した
- 1809年にカール・フリードリヒ・ガウスの『天体運行論』で詳細に論じられた
- グレシャムの法則
- いわゆる「悪貨は良貨を駆逐する」法則
- 1560年にイギリスの良貨が海外流出している原因を国王エリザベスI世に説明したトーマス・グレシャムに由来
- 1519年の時点でニコラウス・コペルニクスによって既に発見されていたといわれている
- ケプラーの新星 (SN 1604)
- この超新星を詳しく観測したヨハネス・ケプラーに由来
- 10月9日にロドヴィコ・デレ・コロンベが記録に残る最初の観測をした (ケプラーは10月17日から)
- ダイソン球
- 1960年にフリーマン・ダイソンが提唱した、恒星エネルギーを利用するための恒星を覆う仮説上の人工構造物
- ダイソン自身は、1937年のオラフ・ステープルドンの小説『Star
Maker』に登場する恒星の光を捕獲するための網に由来すると述べている
- チャンドラセカール限界質量
- 電子の縮退圧で支えられる白色矮星の上限質量
- 1931年に提唱したスブラマニアン・チャンドラセカールに由来
- 1930年にエドマンド・ストナーによっても発見された
- ティコの新星 (SN 1572)
- この超新星を詳しく観測したティコ・ブラーエに由来
- 11月6日にウォルフガング・シューラーが記録に残る最初の観測をした (ブラーエは11月11日から)
- ハッブルの法則
- 1927年にジョルジュ・ルメートルが発表したが、論文掲載誌が英語圏の研究者はほとんど読まない雑誌だった
- 1929年にエドウィン・ハッブルがほぼ同じ比例関係を発表した
- 2018年に国際天文学連合によりハッブル・ルメートルの法則と呼ぶことが推奨された
- ハレー彗星 (1P/Halley)
- 紀元前から数多くの記録が残されている
- 1705年にエドモンド・ハレーが過去の記録からその周期性を初めて明らかにした
- 1758年の回帰で周期性と軌道予測の正しさが証明され、その功績を称えてハレーの名が付けられた
- ピタゴラスの定理
- ピタゴラスが思いついた逸話に由来
- 古代バビロニアの Plimpton 322 (BC 1790-1750) に記述、エジプト中王国 Berlin Papyrus 6619 にも 6:8:10 問題の記述がある。
- ヒルベルトの重力斥力
- 光速に近い速度で運動する粒子が受ける、一般相対性理論に含まれる重力的な斥力 (gravitational repulsion)
- この概念を1917年に出版 (1916年12月23日に投稿)
したダフィット・ヒルベルトに由来
- ヨハネス・ドロステが1916年12月8日に提出した博士論文で既に考察されていたが、オランダ語で書かれていたため認知度が低かった
- その博士論文ではシュバルツシルト解に相当する数学的特異点を含むアインシュタイン方程式の解も独立に導出していた
- フェルミの黄金律
- ポール・ディラックによって導出された、一定の摂動が加わる場合のエネルギー固有状態の単位時間あたりの遷移確率
- エンリコ・フェルミがこの関係式を「第二の黄金律だ」と言ったことに由来
- ベッセル関数
- ダニエル・ベルヌーイによって発見された
- フリードリヒ・ベッセルが多体問題による惑星軌道の計算に応用し普及した
- ベッセルは 61 Cyg
(はくちょう座61番星)
で年周視差の測定に最初に成功した天文学者でもある
- ペンローズの三角形
- エッシャーのだまし絵の発想の元になった不可能図形
- 1934年にオスカー・ロイテシュワルドが考案した
- 1950年代にライオネル・ペンローズとロジャー・ペンローズの親子が考案し1958年に発表した
- エッシャーのリトグラフ『上昇と下降』にある不可能図形「ペンローズの階段」も含め、ペンローズ親子もエッシャーもロイテシュワルドの考案を知らなかった
- ボーデの法則
- 惑星の太陽からの距離を簡単な数列で表せるとする法則
- 1766年にヨハン・ティティウスが発見したが、根拠に乏しかったため注目されなかった
- 1772年にヨハン・ボーデが著書で紹介し有名になった
- 1781年に発見された天王星が n = 6 に割と良く合い、1801年に
n = 3
に該当するケレスが発見されたため信頼性が一気に増したが、1846年に発見された海王星は
n = 7 とは全く合わなかった (むしろ冥王星に近い)
- 現在ではティティウス・ボーデの法則と呼ばれる
- マウンダー極小期
- 1645~1715年に太陽黒点の発生が有意に低下した時期
- 過去の黒点の記録を系統的に調査したグスタフ・シュぺーラーが19世紀に最初に指摘した
- マウンダー夫妻が結論づけ1894年に発表したが当時は注目されず、1976年にジョン・エディがマウンダー極小期と名付けた
- ラグランジュ点
- ロッシュポテンシャルに現れる5つの極値で、全ての力がつりあっている場所
- 1767年にレオンハルト・オイラーが
L1 ~ L3 を発見
- 1772年にジョゼフ・ルイ・ラグランジュが
L4 と L5 (trojan points) を発見
- 自然対数の底 e
- 1618年のジョン・ネピアの近似値に始まり、1683年にヤコブ・ベルヌーイが最初に見出したとされる。その後 b の記号が使われた
- レオンハルト・オイラーが1727年から記号 e を使い始め、やがて e が標準的な記号として受け入れられた
- 複素平面 (アルガン平面・ガウス平面)
- 1799年にキャスパー・ウェッセルが発見したが、論文がデンマーク語だったため認知度が低かった
- 1806年にジャン・ロベル・アルガン、1811年にカール・フリードリヒ・ガウスが独立に再発見してよく知られるようになった
- 八木アンテナ
- 宇田新太郎と八木秀次との共同で発明されたが、実質的な研究は宇田による
- 特許の出願が八木の単独名だったため、国際的にも Yagi antenna
として有名になってしまった
- 歴史的経緯が広く知られてからは八木・宇田アンテナと呼ばれるようになった
- スティグラーの法則
- 社会学者のロバート・マートンによる「マタイ効果 (Matthew effect)」を元とする
- マタイ効果とは、新約聖書の「持てる者はますます富む」の寓話に由来する、既に高い地位にある者がますます多くの信用と肯定的評価を得る現象
- スティグラー自身は、スティグラーの法則の第一発見者をマートンとしている
(スティグラーの法則自体がスティグラーの法則を満たしている)
松本 桂 (大阪教育大学 天文学研究室)