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ティティウス・ボーデの法則 (Titius-Bode law)

ティティウス・ボーデの法則とは、太陽から各惑星までの距離を簡単な数列で表すことができるとする法則です。17世紀になるとケプラーの法則やニュートン力学の成立とともに地動説が受け入れられ、現代的な太陽系像がほぼ確立しました。そのような背景のなかで、ヨハン・ティティウスは1764年に出版されたシャルル・ボネの著書『Contemplation de la Nature (自然の思想)』のドイツ語翻訳版を1766年に出版する際に、訳注の形で太陽系の惑星の距離について下記のような思索を記載しました (なお、この著述はドイツ語以外の翻訳版には存在しません)。

太陽から土星までの距離を100としてそれを等分すると、太陽から水星までの距離は4、金星は 4 + 3 = 7、地球は 4 + 6 = 10、火星は 4 + 12 = 16 となっている。しかし木星は 4 + 48 = 52 である。ここに極めて大きなギャップが存在している。本当に火星と木星の間に惑星は存在しないのか? 否、まだ見つかっていないだけだろう。そして土星は 4 + 96 = 100 となる。
数列 x 数列 n 計算値 実距離 (au) 該当天体
0 -∞ 0.4 0.39 水星
3 0 0.7 0.72 金星
6 1 1.0 1.00 (定義値) 地球
12 2 1.6 1.52 火星
24 3 2.8 2.77 ケレス (1801年)
48 4 5.2 5.20 木星
96 5 10.0 (定義値) 9.54 土星
192 6 19.6 19.19 天王星 (1781年)
30.06 海王星 (1846年)
384 7 38.8 39.44 冥王星 (1930年)

ちなみに、その50年前となる1715年に出版されたデビッド・グレゴリーの著書『The Elements of Astronomy』には太陽から地球までの距離を10等分すると、太陽から水星までの距離は4、金星は7、火星は15、木星は52、土星は95となっていると言及されています。これはあくまで実際の距離の値にもとづいたものですが、この考え方がティティウスの思索の原型になったのかもしれません。

それはともかく、ティティウスの考察を数式で表すと、太陽から各惑星までの距離は極めて単純に、

4 + x
(x = 0, 3, 6, 12, 24, 48, 96)

となります。すなわち最初の0のみ例外としますが、3から始まり直前の値を2倍にしてゆく数列で近似できてしまうことになります。なおここでの距離の値は考察の出発点に照らせば明らかなように、10で割ることで天文単位 (au) となります。また別の表現方法を用いると、

0.4 + 0.3 * 2n 天文単位
(n = -∞, 0, 1, 2, 3, 4, 5)

とも書けます。やはり最初の -∞ のみ例外扱いとします。この後者の数式の方が世間ではよく知られているようです。

ただ、この法則には理論的な裏付けがある訳ではないため当初は注目されませんでした。またティティウスの言及にある通り、1766年当時は火星と木星の間には x = 24 (または n = 3) に該当する天体は見つかっておらず、不自然な抜けがあることになっていました。つまり考察に利用可能な天体は肉眼で見える水星から土星までの6惑星に限られていました。

(さらに余談) ちなみに天動説が信じられていた時代には、地球は当然ながら惑星とはみなされておらず、その一方で太陽と月は星座の間を常に移動することから惑星として扱われていました。これらが曜日の元となった7惑星です。

ところが1781年にウィリアム・ハーシェルによって発見された7番目の惑星である天王星の距離が x = 96 * 2 = 192 (または n = 6) の場合と割と良く合ったため、火星と木星の間にあるかもしれない未知の惑星を探す機運が高まりました。その結果、1801年に x = 24 (または n = 3) に相当する距離に小惑星帯最大の天体である (今でいう準惑星の) ケレスが発見され、不自然だった抜けもきっちり埋まったため、この法則の信憑性が一気に増しました。しかしながら、1846年に発見された海王星は次に来るはずの x = 192 * 2 = 384 (または n = 7) とは全く合いませんでした。これはむしろ2006年まで9番目の惑星だった冥王星に近いといえば近い値です (右表)。そのため、この法則はあくまで偶然の産物であり、科学的根拠を伴う法則とはみなされていません。また現在では多数見つかっている太陽系外の惑星系でも成立しません。

なお、この法則は単にボーデの法則と呼ばれることがあります。その理由は、1772年にヨハン・ボーデが著書『Anleitung zur Kenntniss des gestirnten Himmels (星空を知るための手引書)』の第2版において、ティティウスの考察を出典を示さずにそのまま紹介し、それがきっかけでこの法則が広く知られるようになったためです (いわゆるスティグラーの法則)。ただしその後の版ではティティウスの名がクレジットされています。

松本 桂 (大阪教育大学 天文学研究室)