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ブラックホールの無毛定理 (no-hair theorem)

一般相対性理論によって記述されるブラックホールは、質量、電荷、角運動量の3つの要素でしか違いを区別できないとされています。これは、ブラックホールの唯一性定理 (uniqueness theorem) を援用した「無毛定理」として知られています。ブラックホールの唯一性定理とは、現実の4次元時空におけるブラックホール解はカー解のみであり、電荷を持たない定常的で軸対称なブラックホールの外部場は質量と角運動量のみで一意に記述可能であるとする定理です。このような特徴が、ブラックホールは「毛を持ちえない」と表現されたことで、ブラックホールの無毛定理または脱毛定理 (※) として知られるようになりました。なお、唯一性定理は5次元以上の高次元時空では成立しないと考えられています。

(※) 後者は、恒星だったとき豊富にあった「毛」が重力崩壊して事象の地平面を形成した際に失われたようなニュアンスでしょうか。なお大阪教育大学名誉教授の福江純さんはこの定理を「おばQ定理」と呼ぼうと提唱しています。

この「ブラックホールには毛がない」との表現は、科学用語としてのブラックホールを定着させた John Wheeler によって広められました。元々は当時 Wheeler の学生でありブラックホールのエントロピーを提唱した Jacob Bekenstein が最初に使い出した表現のようです。1971年に出版された Remo Ruffini と John Wheeler の共著の解説記事 「Introducing the black hole」(Physics Today 24, 1, 30) には、

The collapse leads to a black hole endowed with mass and charge and angular momentum but, so far as we can now judge, no other adjustable parameters: "a black hole has no hair."
との記述があります。また1973年に出版された Charles Misner, Kip Thorne, John Wheeler の共著『Gravitation』の876ページにあるコラム 「A BLACK HOLE HAS NO "HAIR"」では1ページを割いて解説されています。
下記の定理は、定常的なブラックホール (平衡状態へ落ち着いたブラックホール) の外部重力場および電磁場はその質量 M、電荷 Q、そして固有角運動量 S で一意に決められる、すなわちそのようなブラックホールは「毛」を持ちえない (他の独立した特徴を持たない) と意味することに近い。詳細なレビューについては Carter (1973) を参照されたし。
  1. Stephen Hawking (1971b, 1972a):定常的なブラックホールは球状の地平面を持ち、静的 (角運動量0) または軸対称またはその両方である。
  2. Werner Israel (1967a, 1968):球状の事象の地平面を持つ静的なブラックホールは、質量 M と電荷 Q で一意に決められる外部場を持つ。それは Q = 0 のときシュバルツシルト解、Q ≠ 0 のときライスナー・ノルドシュトルム解 (どちらも特殊な状況でのカー・ニューマン解) である。
  3. Brandon Carter (1970):球状の事象の地平面を持つ電荷を持たない定常で軸対称なブラックホールは、質量 M と角運動量 S の2つのパラメータで一意に決められる外部重力場を持つことになる。それはカー解すなわち Q = 0 のときのカー・ニューマン解に限られる (唯一性定理)

このコラムは Google Books で読めます (というか『Gravitation』は2017年に再販されていて、電子書籍でも読めるようです。実物はぶ厚くて重い鈍器のようなハードカバーの書籍なのですが)。

定常的とみなせるブラックホールを遠方から観測する場合、量子論的な観点はとりあえず考える必要は無く、これまで現実の宇宙で数多く見つかっているブラックホール候補天体は無毛定理を満たしていると想定されます。もし満たしていないと判明すれば、それは実はブラックホールに似て非なるなにかであるか、ブラックホールの理論や一般相対性理論が不完全である可能性が出てきます。ただし今のところ、そのようなことはないと観測的に検証されています (より詳しい解説)。

松本 桂 (大阪教育大学 天文学研究室)